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インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

泣いてる人の背中をあたためたい

たくさんのコメントやトラックバックをもらいました。ありがとうございました

 書いた文章が広く読まれるタイミングというのは、同時にネガティブなリアクションも引き受けなければいけません。これは単なる揚げ足取りだろうとか言いがかりだろうと思うものは受け流すんですが、そうでないものもたくさんあるわけで、様々な角度からの意見を読んで、自分の視野の狭さや、単一的な思考について、反省させられました。みんないろんなことを考え、それぞれの考えやポリシーで活動していて、なるほど、とたくさん思いました。で、ネガティブなリアクションを引き受けるときというのは、自分自身の信念の強度を試されるときでもあるわけで、あらためて、「じゃあ、わたしは一体なにがしたくて、こうして文章を書いて公開しているんだろうな」と考えました。

 お金が目的だったらもっと頑張るべき部分はあるし、そもそも返ってくるネガティブなリアクションともらえるお金のバランスがそんなに取れていないので、割に合わなさすぎる。そういうことからも、わたしががんばりたいと思う方向がそちらを向いていないのは明白なので、じゃあ、何が目的なんだろう?とふり返ってみたんですが、というか、これに類することを何度も書いてるので「自分で忘れてたんかい」というだけの話なんですけれども、過去の自分みたいな人の役に立ちたい、というのが一番大きいんだな、というのを改めて感じました。

 

 気難しい10代と生きにくい20代を経て30代の今、あれー思ったより生きやすくならないぞ、おかしいな?とは思いつつ、それでもたくさん転んで立ち上がって、また転んで立ち上がってきたわけなので、「大怪我しない、いい感じの転び方」とか「元気が出ないときでもなんとか立ち上がれる方法」みたいなのが、自分なりに分かりつつあるんですね。それでそういう話を年下の女性と話したりすると「ああわかる」と、「わたしが今まさにそうです」みたいな、たぶん人間のバリエーションって千差万別に思えて意外に共通点多いんだろうなと思うんですが、けっこう転用できたりするんです。(女性に限った話じゃないだろうとも思うんですけれども、あまりそういう話を男性とはしないので、よくわからない)

だったら、直接知り合ったり、お会いすることができない人のために、そういう応急処置の方法をね、救急箱をタンスの上に置いておくような感じで、そっとまとめておいて、本当に困ったときそこに気付いてもらえたらいいなあ、と思います。わたしが直接手当てできなくても、そこに救急箱があるからね、消毒液も絆創膏もぜんぶ入ってるからね、そして怪我は必ず治るから、大丈夫だからね、という気持ちです。オカンかよ。

 自分自身が頑固もので、誰かにアドバイスを押し付けられるのとか本当に苦手なので、そういうのはなるべくしないようにしようと思っているんですが、過去のわたしみたいな人が、辛くてしんどくて、八方塞がりでどこにも行けないような気持ちで泣いていたり、助けを求めているときに、言葉を直接かけることができなくても、そっと背中をあたためて、気が済むまで泣くのを見守れるような人でいたい、そんなテキストを書き残すことで、いつか見知らぬ誰かの役に立てたらいいなと、そういうことがしたくて、わたしはブログを続けているんだろうなと、そういうことを改めて認識した次第でした。

 

 わたしも未だに転ぶし、転んで血がバーバー出てるときは悲しくなるし、「もうひとりじゃ無理だよ、誰か手当てしてよ、助けてよ」と思って泣きたくなるときもあるんですけれども、べそべそしながら自分で応急処置をして、涙も止まって、「しょうがないから、さあまた歩くか」と自力で立ち上がる瞬間の、なんとも自分が頼もしく思える感じ、というのも、なかなか悪くないものだなと思います。

お互いがんばりましょうね。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

 

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