インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

夢みるまぶたの話

 とにかくよく眠るひとだった。

仕事が忙しくいつも遅くに帰ってくるせいもあったけれど、一度ふとんに潜り込むと昼を過ぎてもぴくりともせず、無言でトイレに立つくらいで、それはまあよく眠っていた。ねえ、今日は◯◯へ遊びに行くんじゃないの、約束したじゃん、また寝ちゃうの、と言っても「うん」とだけ答え、またふとんにもぐっていった。

わたしは眠りが浅いほうだったので、せいぜい昼まで二度寝するのがやっとで、いつも待たされた。彼が寝ている間に家事を済ませ、それでもまだ起きないので、一緒にふとんで横になったり、それでもやはり眠れなくて、ふとんに入ったまま上半身だけを起こして本を読んだりしていた。夕方の気配がしはじめると、スイッチが入ったようにむくりと起き、くせ毛をぐしゃぐしゃにしたままわたしの顔を見て「あっ!」と言い、慌てて「ごめん、また、すげー寝ちゃった」と謝るのがいつもだった。もちろんその日の予定は総崩れなので、夕方から近所の焼肉屋などに行って食事をして、散歩をして帰るのがせいぜいだ。それでもやはり休日にぐっすり眠ることをやめられないひとだった。

  どうしてそんなに眠いのかしらね、と聞いたことがあった。

責めるつもりではなく、本当に不思議だった。12時間でも、16時間でも眠れる彼が、とても不思議だった。
「俺も、わかんないんだよね」と彼は言った。ふとんに入ると、身体が沼にずぶずぶと沈むような感じで眠りがやってきて、あとはもう自分じゃどうしようもできないんだ、気軽には戻ってこれないんだよ。自分でも本当によくわからなくて不思議だ、俺も俺でとても大変なんだ、というふうな顔をして話すので、わたしも素直にそういうものなのか、大変だな、と思った。

 休日の待ちぼうけは寂しかったけれど、眠る彼の隣にいるのはなかなか悪くなく、そんなに嫌いではなかった。ふわふわのくせ毛、少し首周りが伸びたグレーのスウェット、白くて細いうなじ、ぴくぴくと痙攣するまぶたを眺めながら本を読んでいると、時間が止まったような、この部屋だけが切り離されて、空中にぽっかりと浮かんでいるような感覚になった。この空間だけが永遠に同じ時間を繰り返すのではないだろうか、とさえ思えた。たまに寝ぼけながらわたしの手を探し、ぎゅっと握ってくるのも、子どものようで愛らしかった。

  結婚する予定だったが、いろいろあって流れた。

 数年後、ひさしぶりに再会した彼は「俺やっぱ日本で生きてくの無理だわ」と言って、海外移住を決めていた。今もお休みの日はあんなにたくさん寝ているの、海外で働くのに、そういうのはだいじょうぶなの、と聞くと、ハハハと笑い、「今はもうあんなに寝てないよ」と言った。
 あのとき、今の仕事で独り立ちするために必死でやってて、たぶん日中は、自分で思ってる以上にボロボロだったんだな。身体のあちこちから血が出てるみたいにヒリヒリしてて、しんどかった。校庭で転んだりすると、スリ傷ができるだろ。あんなのが全身にあって、何してても痛かった。でも家に帰って、お前と一緒に寝てると、いろんな部分がすうっと治っていく気がして、すげー寝れた。寝て起きると傷がぜんぶ消えて、身体が軽くなるような感じだった。今は自分で会社やれるくらいになって、仕事で何があってもヒリヒリすることはなくなって、笑ってられるし、強くなったんだろうな。あの頃は寝坊してよく約束を破ったし、起きたら寂しそうにしてるのを見て、悪いことしたなと思うけど、俺はお前と一緒にいれてよかったよ。
と、いうようなことを悪びれもせず言うので、「いろいろあったけど、わたしも楽しかったよ」と笑って別れた。

 今でもたまに、あのまぶたを思い出すときがある。
土曜の午後、きいろっぽい光の中でぴくぴく痙攣するまぶたは、うっすら青みがかっていて、とてもきれいだった。小さい動物のように身体を丸めて眠っていた彼は、わたしに隠れて何かと闘っていたんだなと思うと、過去の彼がとてもいとおしく思えた。

背中が冷えると風邪を引くひとだったから、朝起きてふとんから背中がはみでていると、少し怒ったようによく拗ねた。眠りが浅いわたしは目が覚めるたび気になって、よくふとんをかけなおしてあげていたことを思い出す。かけなおされたふとんのあたたかさに気づくと、満足したように目をつぶったままフンと鼻を鳴らす彼のことが、好きだった。

 今も彼の背中があたたかいといいな、と思う。

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