インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

拡散と収束を繰りかえし、働くように遊ぼう

読みまして。

streamlines.hatenablog.jp

個人的には「やりたいと思ったことは、全部やってみたほうがいい」と思います。その中から、「どうしてもやめられないこと」「めんどくさいけどやりたいこと」「気付いたら続けられていたこと」が出てくるから。

「拡散的思考」と「収束的思考」の2つについて。

すでに知っている情報をもとに考えを拡散していくのが「拡散的思考」、すでに知っている情報や経験から一つの結論に至るのが「収束的思考」で、アイデア出しのプロセスにおいてまず最初のとっかかりから考えを広げていって、その中からまとめていく、という段階を踏むと思うんですが、これと同じことだと思うんですね。
わたしはこれが定期的にやってきて、1つ興味がわいたことがあったらとりあえず掘ってみて、調べたり教えてもらったり考えたり、関連するものを探したり、ワーッと広げて行った中から、「あっこれだ」というものが出てくることがあります。「興味がわいたのは、ここに引っかかってたのか!」みたいな感じ。
人との付き合いも同じで、ある1つのコミュニティとのつながりができると、そこからまた新しく誰かを紹介してもらったり行ったことのない場所やイベントに誘ってもらったり、自分の世界がぐーっと拡張していく感覚があって、そして拡張していった中から、「これだ」というものを見つけてシェイプしていくと、本当に必要な物が見つかる、という瞬間が来ると思うので、それまでは、手当たり次第でもいいんじゃないかな。三日坊主になったとしても、やったことがないものがやったことがあるもの、に変わるのは大きな違いだと思うので。

 ただ、ワーッと拡散していく段階の勢いに巻き込まれて自分が見えなくなる瞬間が来ることがあって、それはそれで不安だと思うので、そういうときには、岩と砂利と砂の話を思い出すといいんじゃないかなと思います。
 岩と砂利と砂の話はなんかどっかで上司から聞いたんですけど、ざっくり言うと、人生はからっぽの箱のようなもので、岩をいっぱいに詰めても隙間に砂利を流しこむことはできる。砂利をいっぱいに詰めても、その隙間に砂を流しこむことはできる。でも、最初から砂をいっぱいに詰めてしまったら、砂利も岩も入れることができなくなってしまうよ、というお話のこと。
これは時間の使い方のたとえで、岩=人生において大切なこと、をあらわすそうです。
なので、まず人生において大切なことに時間を割り振っておかないと、瑣末なことで時間を埋められていってしまって、本当に大切なものを抱えることはできないよという説教なのですが、まあそんなことをイメージしながらやっていくとよいのではないでしょうか、というお話でした。

 いずれにせよ好奇心ってすごく大切で、後天的には育ちにくいとも言われているから、興味が持てるうちはどんなことにも挑戦してみるとよいのでは、と思います。遊びも仕事も上手に混ぜるほうが絶対に楽しくて、それは両方をごちゃまぜにして公私混同しろってことじゃなく、仕事で覚えたやり方を遊びに活かしたり、遊びで覚えた知識が仕事で使えるときってあると思うので、どっちも真剣にやるほうがおもしろいんじゃない?ということですね。だから仕事だけでもあまりよくなくて、両方やらないと視野が狭い人間になっちゃうよ〜とよく言ってますが、つまりそういうことです。
 
 ちょう余談ですけどこのギャラリーが好きなのでよかったらどうぞ。

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今日はそんな感じです。
チャオ!