インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「わかる」ことに意味はない

「あなたの気持ち、わかるわ」と言われるのが、本当に大嫌いでした。10代の頃、とくに。

inujin.hatenablog.com

わたしの気持ちなんてわたしにしかわかるはずないし、そもそもわかってほしいなんて思ってない。勝手な想像で「わかるわ」なんて言われて、勝手に同情されたり、勝手に判断されるなんてごめんだ、と思っていました。

事実、「わかってるわ、あなたはこういう子で、こういう気持ちになって、こういうことを思ったんでしょう」と言われた内容がそうだったことなんてありませんでしたし、そのたび、「結局、他人にわたしの気持ちなんてわかるはずないんだ」と軽く絶望しました。反抗期、両親から「お前は何を考えてるかわからない、お前の気持ちがわからない」と言われたときも、そのたびに、あたりまえじゃないか、あんたたちなんかに、わかってたまるか、と思っていました。

 

時が経ち大人になって、数ヶ月前のこと。

母親が緊急搬送される出来事がありました。今まで入退院や病気をしたことはあっても、いよいよ、と集中治療室に家族が呼ばれたのは初めてで、「最善は尽くしますが覚悟はしておいてください」と言われて「わードラマで観たことあるやつや」と思いながら、ただ、時間が過ぎるのを待たなければいけない瞬間がありました。それでも仕事はあって、やることもたくさんあって、プロに任せることしかできない時間をどう過ごせばいいか、右往左往しました。

会社に来てみたものの、仕事はまったく手につかず、たまたま連絡をよこした友人に、堰を切ったように状況を話してしまいました。自分の話ばかりする自分は嫌いだし、この状況を誰かに愚痴るなんて嫌だ、同情されるのも、弱みを見せるのも、自分の重い問題を他人に共有して、相手が負担に思うのも絶対に嫌だ、と思っていたのに、たぶんその瞬間が限界だったんだと思います。

自分でも不思議なほど明るく「いやーほんともう、困っちゃうよね〜」と笑いながら話し尽くしたあと、相手から、「まあ100%理解できたとはいわないけど、そういう気持ち、わかるわ」と言われたとき、とても心が解放されました。相手にわたしの状況がすべて伝わったとは思えません。すべてを説明したわけではないし、端折った事実もあります。

それでも、相手が「わかるわ」と言ってくれたことが、とても救いになりました。そのとき、わたしにとっては「相手にわかってもらえたかどうか」よりも、「相手がわかろうとしてくれているかどうか」のほうが価値のあることで、わたしが与えてほしかったものなのだと思いました。

 

他人の気持ちを100%わかることなんてありえない、今でもそう思っています。
でも、「相手の気持ちなんてわからない」ということを前提に、それでも、「この人の気持ちをわかりたい」と思える相手を見つけて大切にするのは、とても素敵なことだと思います。

同時に、「この人にわたしの気持ちなんてわかるはずない」という前提を忘れず、「それでも、わかってほしい」と思える人に、自分の気持ちをなるべく素直に、そのまま伝わるように表明していきたいし、一生わかりあえないままでも、そうしたい相手を見つけて、そうし続けていくことが他人と関わる幸福なのかもしれないな、と思った次第です。

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

#余談ですが、母はその後、無事に一命をとりとめて、元気でやってます。

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