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インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「求められたい」と願う醜さ/「必要とされている、と思う病気」観てきた

観劇

観てきました。

箱庭円舞曲第二十一楽章「必要とされている、と思う病気」

箱庭円舞曲official web site


箱庭円舞曲「必要とされている、と思う病気」初日~2/15分 - Togetterまとめ

舞台は、結核の隔離病棟。

医者と看護師、患者たちとその家族の群像劇で、タイトルの通り全員が「自分は必要とされているかどうか」をどう抱えて、どう対処しているかが見どころかな、と感じました。

 

見終わったあと、うわー、と思いました。

その「うわー」は、正直に言うと、嫌悪感でした。

 

脚本・演出の方に実体験が元になっているということでエピソードにリアリティがあって、それがなおさら重かった。

医師、看護師長、看護師(若手)、看護師(派遣)の人間関係も、患者1(年長の頑固者)、患者2(奔放なトリックスター)、患者3(年若いマザコン)、患者4(新入り・お笑い芸人志望)とその身内のやりとりも、全部、重かった。

全員が語るシーンがあったわけではありませんが、それぞれが「自分はあそこで必要とされている」と思い込んでいて、それを第三者へ語り、劇の終盤で「必要とされていると思ったが、そんなこともなかった」と思い知らされる展開があります。

「そうか、自分なんていなくても世界は回るし、いくらでも、代わりはきくのか」と落胆する姿のその醜さ、浅ましさみたいなものが、自分のことのようで、本当に嫌でした。

 

最終的な回答は提示されません。

いくつかのヒントはあったように思います。

それぞれの役が少しずつ言葉にしたヒントをつなぎ集めると、なんらかの回答が自分の中に見えてくる気もしますが、その作業をしたところで、何になるんだ、と感じました。誰かに必要とされたいと願うみっともなさ、情けなさ、それに答えや理由をつけたとしても、醜いことには変わりがない。でもそれでも、求められたい、と願ってしまう。そのドロドロをつきつけるだけつきつけておいて、何の回答も明示せず突然終幕してしまうのは、今わたしが生きている世界と似ている、と思いました。

誰かに必要とされたい、と願う気持ちは生きる原動力になるかもしれないけど、他者に期待して何かを求めるのは本当に心が汚いし、嫌だと思います。誰にも何も期待しないで、ただ自分のやりたいことを、やりたいように、誰かに尽くしたいならただ尽くして、見返りを求めないようにして、生きていきたい。そういうイガイガを植え付けられて、帰ってきたのでした。まだ数本しか見てないけど、お芝居は観終えたあとこういうイガイガを植え付けられたり、ヒリヒリさせられたり、気持ちの真ん中に手を突っ込まれて、グチャグチャにかき混ぜられてしまうところが、本当にすごい。

 

今回は悪い芝居「スーパーふぃクション」で冠虚(カンムリ・ウツロ)役を演じた大塚宣幸さんが出るというので観に行って、舞台に現れた大塚さんのあの雰囲気、空気がバッと変わるあの空気に触れられたのは嬉しかった。でも、演技を見れば見るほど、そうか、これは冠虚じゃないんだ、冠虚にはもう会えないんだと実感してしまい、帰りの電車でちょっとだけ泣きました。本編と関係ねえ!

しかたがないのでアフターレポートを読んで思い出に浸りたいと思います。


悪い芝居vol.16『スーパーふぃクション』 特設サイト

 

次は何を観に行くか決めていないので、また物色したい。ザンヨウコさん、良かったです。

今日はそんな感じです!

チャオ!