インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「怒り」はとっとと手放そう

お久しぶりの方との楽しい夜を終えて思ったんですけど、どんなに気をつけていても、誰かに対して腹を立てたりネガティブな感情を持つことってどうしてもあると思うんです。なるべく怒りたくない、嫌いたくないと思ってても、本当に嫌なことをされたり納得がいかないことをやられたら、自分を守るため「NO」を表明しなきゃいけないし、その過程で怒りの感情を持つのは当然なので、それとの向き合い方の話。

 

わたし自身がもともと怒りっぽくて、家族や身近な人たちと、やたらぶつかることが多かったのですが、最近教えてもらったことがあります。怒りとか憎しみは「感情のフタ」と言われ、その下に、何かべつの感情が隠れていることがある、のだそうですね。

 

自分が人一倍さみしがりであったり、すぐ悲しみを感じてしまう性格であることを自覚したうえで、その話を聞いてみると、確かにそうだなあと納得したんですが、なんでそんなことにいなっちゃったのかというと、元々、「さみしい」とか悲しいという感情を、他人にたいして表明することに抵抗があったんです。
さみしい、悲しいって、イコール「わたしを構ってほしい」「大切にしてほしい」「ひとりにしないでほしい」ってことで、そんな身勝手なことを他人に要求するのはよくない、と思っていたというか。

 

でも振り返ってみると、結局その感情を押し隠すために「怒り」という強い感情が出てきてしまって、さらに悪い状況を招くくらいなら、いっそ素直に「弱くてダメな自分」を出しちゃって、わたしはこんなにダメなんだ、ごめんね!と認めて、笑っておねだりしてしまうほうがいいんじゃないかな〜って思うようになりました。

 

って書くとなんか単にお前がええかっこしいってだけのことなんじゃねーのって結論になるわけですがまあそんな感じであってます。

 

一方で、気付いたのは、自分が親密に思っている相手からなら、「構ってほしい、大切にしてほしい、ひとりにしないでほしい」という要求は別に嫌じゃなくて、むしろ嬉しいわけです。個人差あるだろうけど、たぶん。断言できるほど母数を知らないけど。まああるってことにしてください。わたしはそう思ってるんでそういう前提でこの先を続けます。

まあその前提があるとして、それだったら、相手に受け入れてもらえないかもとかごちゃごちゃ考えず、素直に表明しちゃって、受け入れてくれる人だけを大切にしていけばいい、という考え方も、アリ、なのかもしれないなーっと思ったのでした。

 

自分が親密に思う相手が、必ずしもわたしを親密に思ってくれるわけではない、という問題もあるんですけどね……。むずかしいですね。

 

今日はそんな感じです。
チャオ!