インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

自分に悪意を持つ他人の存在を認識して感じたことの話。

悪意までいうと言い過ぎなのかもしれないんですが、SNSの普及によって他人が自分にネガティブな感情を抱いていることが分かりやすくなったなと感じます。


誰かを嫌うときって、「相手が自分に対して何かしたから嫌い」パターンと、「単に性格が合わない」パターン、あとは「それまで何とも思ってなかったけど最近調子に乗っててなんかムカつく」パターンと、いろいろあると思うんですが、わたしはもともと自分の感情をパーッと外に出してしまうほうなので、うれしいことがあったら遠慮せずに表現してしまって最後の「調子に乗っててなんかムカつく」パターンで嫌われることが多く、子供の頃もよくそれでイジメられたりハブられたりした記憶があります。
成績が良かったりテストでいい点とったときに「やったー!」って言っちゃう→順位越された子が「あいつムカつく」みたいな。学力テストで良い点を取ったあと、市営プールの更衣室で同じクラスの子が「あいつなんてただ勉強が出来るだけのブスじゃん」と言ってたのをウッカリ聞いてしまったときのことを思い出すといまだに胸が痛みます。クソが。


閑話休題、SNS疲れとかで言われるように、誰かが自分をどう評価しているか、もっと言うと誰かから嫌われていないかをビクビク気にするのはすごく疲れます。特にこうやって何か文章を書いて外に出して、第三者からどうとでも叩くことができる状態を自分で作っている以上、本当に気になるし、気にしていること自体がすごく疲れる。

これはもうどうしようもないことで、気にしないように訓練していくしかない=つまり慣れるしかないですし、自分が気にするほど他人のネガティブ評価って重くないんですよね。パッと目立ったら「んっ、なんだコイツ」って叩くみたいな、モグラたたき的な感じの反射で叩く人もいるくらいの気持ちでいます。まあへこみますけど。


で、それとはまた別の話で、悪意ある他人って実在するんだなーっていう件。
青春時代にSNSがなく、前述のように自意識過剰なんだか鈍感なんだかよくわからないっていうか単に他人の気持ちに気付けないタイプだったのであまり悪意ある他人の存在を実感することがなかったんですよね。


幸いにも両親は善良すぎるほど善良で、周りの親戚もまとめサイトとかであるような揉めごとを起こすような人もいなくて、それなりの苦労はありましたけど良い人に囲まれて育った方だと思うので、自分には関係ない世界の話だと思ってた。でも、こうして文章を書いて目立ったり、まあそれ以外でもちょっと一歩前に出て楽しそうにしてたりすると、ただそれだけのことでネガティブな感情を持つ人がいる、ってことを最近やっと理解出来た気がします。


なんか、感覚としては「子供の頃はおまわりさんとか学校の先生って絶対的に正しくて悪いことなんて絶対にしないと思ってたけど大人になってみるとそうでもなかった!」みたいな、「あ、いたんだ?」みたいな感じ。「いやー、いるらしいとは聞いてたけど、実際いるもんだねー!」的なノリです。


それまで嫌われてはショックを受け、悪口を言ってたよと聞いては自分が悪かったんだ、あのときどうすればよかったんだろう、次は絶対にこんなことにならないよう気をつけよう、とか落ち込んでいたんですけど、なんかもう全然接点のない人から一方的に嫌われたりdisられたりするのを経験すると「あっこれはもう自分が気をつけるとかそういうレベルの話じゃないんだな!」と諦めがついてきた感じです。


で、そういうのを言う人も100%悪人ってわけじゃなくて、虫の居所が悪いとか人生がうまくいってないとかカネがないとか仕事がキツいとか何らかの事情があって八つ当たり的に「なんかコイツ幸せそうだし楽しそうだからこのくらいdisっても傷付かないだろ」ってぶつけてきてることもあるので、なんというかみんなで幸せになれたらいいのになーって思ってる次第であります。
幸せそうとか楽しそうとか悩みなさそうに見える人も実際どうなのって言ったらそんなことなかったりするのでね。