インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

わたしが「貧しかった」ころの話

貧しいといっても金銭的な意味ではないんですが。

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120531/1338473985
「貧しい」とはどういうことか|デマこいてんじゃねえ!

引用

「貧乏な人ほどジャンクフードを食べて病気になってますます貧乏になる」という話を耳にする。「自炊すれば安上がりだし健康的なのになぜ?」と。たぶん、「自炊のほうがいい」という発想そのものが、豊かさの証しなのだ。貧困とは、ただカネがないことではない。文化がないことなのだ。


ごくごく普通?の中流家庭で生まれ育って、社会に出たあと、諸々あり、どうしても家族との折り合いが悪くて、実家をトランク1つで飛び出しました。一戸建てを数人でシェアする物件を見つけて即飛び込む感じで家を出て、当時勤めていた会社(派遣された先で運良く社員採用の声をかけてもらった)の正社員の椅子にしがみつくつもりで、がむしゃらに働いた。

何しろその職を失ったら稼ぎがなくなるわけで、住むところと食べるものを確保するためには何しろ稼がなきゃいけない、馘首されないように実績を出して、出来れば出世するもしくはキャリアアップして収入を増やしていかなきゃいけない、という切迫感がありました。実家に戻る選択肢は「ありえない」と思っていたし、今でもそう思っています。
このへんは「毒になる親」的内容なので割愛。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)

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学歴もないしコネもないし、でも自力でどうにか這い上がらねばならぬ、と思いながら働いて、金銭的には何とかなってきはじめた頃、それ以外の部分が静かに貧しくなっていきました。
そのときのことを思い出してまとめます。

時間がなくなる

当時は学歴や実績など武器になるものが何もなかったので、時間を擲つしかありませんでした。
要するに「何でもやります、残業平気です、休出もやります」という状態。年俸制で残業手当などはなかったので申請する必要などもなく、朝早くに出社して終電まで会社に居る、手が空いたら周りの人に声をかけて手伝ったり、違う部署に行って御用聞きをしたり、「あいつはいつでも居る」という状態を作って、会社で自分の居場所を確保しようとしました。

おのずと突発案件や緊急の仕事に声をかけられることが多くなり、自分の時間はどんどん減っていき、家に帰って眠るだけ、の生活になりました。人が嫌がる仕事でも率先して手を挙げたので、上司や役員が顔と名前を覚えてくれるようになり、今がありますが、それしかなかったとはいえ、あまり賢い方法でなかったと思います。

考える余力がなくなる

空いている時間はすべて仕事最優先で予定を入れていたので、余暇を削った上でさらに削れる時間というのは限られてきます。睡眠時間です。
終電に乗れる時間ギリギリまで会社で仕事をして、同じくらい働いていた同僚と駅に向かって全力疾走をして帰宅すると1時過ぎ、という生活をして、それでも「まだ仕事やれます」と言っていると、あとはもう翌朝の始発で出社するしかなくて、おのずと睡眠時間は毎日2〜3時間、というレベルになりました。

そうすると、出社するために移動している間や外回り中の電車移動の最中は眠くて眠くてたまらず、帰宅中は肉体より神経が疲れ果てているので、ぼんやりしていることが増えました。仕事の話なら頭の芯がピリピリするほど集中して考えられるのですが、それ以外のことについては「考えるのが面倒くさい」という生活スタイルになりました。

このときに、「自炊をする(献立を考えて買い物をして調理をする)ことは、思った以上に頭を使うんだ」ということを知ります。献立を考える余力がないので、スーパーでの買い物がとても苦痛になります。たくさんある選択肢から考えて選ぶ、という余力がないんです。それを見越したようにコンビニエンスストアにはお弁当や惣菜があり、ファストフード店にはセットメニューがあり、なるべく考えずに食事を済ませるためのルートが数多く用意されているんだなと思いました。

他者を許せる寛容さを失う

余暇がなくなり、睡眠時間を限界まで削り、食事も適当になってくると、生活自体が雑になってきます。
渉外するポジションで身なりには気を使わなければいけなかったので化粧や洗濯や最低限のことは維持できても、部屋を素敵に飾るとか、季節の花を買ってくるとか、そんな余裕はありません。


入居した当時からさほど変わっていない室内に、仕事の書類や勉強のためにと買い込んだ新書が積み上がっていて、珍しく仕事のない休日はひたすら寝て洗濯や掃除や身の回りのことをやって終わる、という精神的余裕のない生活になると、他人の指摘に過剰反応を示すようになりました。

雑な生活はやはりどこか後ろめたく、心配から「残業は断れないの」「土日くらい休んだら」とアドバイスされても、自分が責められているような気がして、過度に反発していました。年齢的にも「結婚」とか「出産」がちらつく頃だったので、すごくつらかった。今は「他人は他人、自分は自分。どんな道を選んでも、本人が幸せなのが一番」と思えますが、当時は結婚の報せを受けて、心から祝いたいのに、自分のやっていることを否定するような気がして、素直に祝えないことが本当につらかった。

それを経て今。

それだけ必死でやった甲斐あってというかなんというか、ある程度のキャリアと人脈を作って、自分が楽に生きられる方向性や考え方をつかめてからは、だんだんと余裕が戻ってきた気がします。収入は落ちましたが、自分のペースで働いて、疲れたら休んで、無理しそうになったら自制して。

ただ、運もあるし、景気変動や業界の流れにたまたま乗れたことも大きいので、あまり油断は出来ないのですが…。
「貧しさとはカネがないことではない」というのはまさにその通りで、カネ以外の尺度で豊かさ・幸福を実感できない限りは、カネを稼ぐことが最優先になってしまう。直接的に「現金」が入る仕事が「一番良い仕事」になるし、そうでない仕事は無駄、という価値観になってしまうと、見えない部分の豊かさはどんどん削られていきます。


わたしは夫から「文化資本」という言葉を教えてもらいました。食の豊かさや、丁寧に生活すること、音楽や哲学や芸術や、直接カネにはならないことも、それらの文化は本人の教養となって、間接的により大きなカネを生むということを知りました。

貧しさはとても悲しいし、目先のカネがなければ明日のお米が買えないことも知っています。
自分だけでは脱せない貧しさもあります。
しかし、キレイごとではなく、そもそも「そこから逃げられる可能性があること自体を知らない」ことが、何よりも悲しい。


だからこそ、「そこからどうやって脱出したか」「脱出できた自分が手を差し伸べられることはないか」「同じ状態を招かないために何ができるか」を考えて、こうして文章にしていきたいと思っています。


わたしもいつまた「貧困」に苦しむか分からないですしね。
聞こえないほど小さな声かもしれませんし、変わったと気づかない程度の行動かもしれませんが、社会を変えていこうと動くことは、自己防衛でもあるのだと思います。