インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

家族にも持続可能な仕組みが必要

食通のご亭主をもった「食べ物ウツ」の奥様だったら、いくらご亭主が配慮して「おいしいもの」を作ることを奥様に強要しなくても、奥様のほうは「おいしいものを作ってあげられない自分が情けない」と、ますます追い込んでしまうだろう。私などは、こうした「食通礼賛」の世間の空気すら、今は重い。


「食通礼賛」の空気に押しつぶされる女性の憂鬱と対策
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20111023/1319406866


自分を責めることは、とてもつらいです。
こちらのエントリーを拝見して、仕事や社会と同じように、家族としても楽しく幸せに過ごせる仕組みを作っていくことの難しさを感じました。


ブコメで書ききれなかったことをこちらに備忘。

自分のこと

体調を崩し起き上がれず家事も出来なかった頃、本当に自分が情けなくて恥ずかしくて、毎日泣いていました。結婚したばかりで、本来であれば、食事を作ったり家事をして夫に喜んで欲しいのに、身体がついていかない。

夫は「無理しなくていいよ」と慰めてくれますが、誰かに責められてつらいのではなく、自分で自分が許せなくてつらくなるのです。自分はなんて役立たずで、意味のない存在なんだと思っていました。


泣きながら「仕事も出来ず家事も出来ず、妻としても主婦としても使い物にならなくなった自分とは、離婚してくれて構わない」と何度も言いました。そのとき夫が「家事をしてくれる人が欲しくて結婚したんじゃないよ!そんなこと気にしなくていいよ」と言ってくれた言葉が、今でもわたしの支えになっています。

他方、その言葉をもらったあと、ならばわたしは何を夫にしてあげられるんだろう?と考えました。
わたしは夫に何をもらっているだろう?とも。


そうして気付いたのは、「相手が笑顔で幸せそうなら、それでいいんだ」ということ。


わたしは夫の笑顔で幸せになれるけれども、もしかしたら、夫もそうなのでは?と思いました。そうして、少しずつ、夫に甘えることが出来るようになりました。出来ないことは素直に伝え、手助けを頼む。逆に、夫が出来ないことはわたしが手伝う。そうしてお互い助け合えばいいんじゃん、と。


そういう暮らしを続けてみたら、とても楽になりました。
そして、夫婦に限らず、誰かと一緒に何かを作っていくのであれば、お互いが得意分野を手分けしてやればいいんだ、ということを実感しました。みんながカンペキな人間ならよいのでしょうけれども、残念ながらそうではありません。


だったら、嫌なことを我慢しつづけて身体を壊すより、早いうちに降参して、どうやったらうまく続けられるかを考えるほうがいい。それが「パートナー」ということなんだなと思います。

母親のこと

子供の頃を振り返ってみると、母はあまり料理がうまくない人でした。
当時は普通だと思っていた母の料理が、大人になって外食をしたりよそのご家庭で食事をしてみて、初めて「ああ、お母さんは料理がヘタだったんだな」と分かりました。


片付けや掃除も苦手だった気がします。わたしも小学生の頃から母親の代わりに夕飯の支度をしていました。子供時代が奪われたという葛藤もありました。それでもやっぱり良い母だったと思います。おかあさんになるなら母みたいな感じがいいな、とボンヤリ思っていました。(なんか故人みたいになってますが、母は今も元気です)


料理もヘタで、たぶん家事一般もそんなに得意じゃなくて、ウッカリも多かったんですが、思い返すと、やたらとニコニコ笑っていた記憶ばかりです。そしてこちらが恥ずかしくなるくらい「あなたはすごい」「あなたはできる子だ」と言ってくれていました。


照れくさくて「本当はお母さんがやることなんだからね!」と反抗もしましたが、やっぱり母親がニコニコして褒めてくれることは、すごく嬉しかった。

何かと機会をとらえては、「彼は自分の洗濯は自分でやっている」と盛大に褒め称える


「食通礼賛」の空気に押しつぶされる女性の憂鬱と対策
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20111023/1319406866

この一文で、そのことを思い出しました。

食事が勝手に出てくるよりも、身の回りのことが整っていることよりも、母が笑顔で、「よくがんばったね、すごいね」と言ってくれることのほうが、わたしはずっとずっと嬉しかったんです。

そのときのことを思い出すと、「笑顔でいてくれること」も、母親の大事な仕事だったんだなあ、と実感します。

奴隷の鎖自慢はもうやめよう

誰にでも得意不得意があります。
主婦になっても、家事がうまくやれない人もいる。そんなの当たり前なんです。


分かっていても、それでいいじゃない、と頭では理解していても、いざ自分がそうしようと思うと、とてつもない心理的抵抗がある。似たようなことがあったことを思い出しました。


仕事を得て、社会に出たとき、「女性の社会進出は大事だよね」と励まされながら、同時に感じた「女のくせに出しゃばるなんて」「女なのにそんなに仕事してどうするの」という無言の非難の空気です。頭では「これでいいんだ」と思いながらも、両方の気持ちに挟まれて、バランスを取るのにとても苦しい思いをしました。


結婚したとき、同じ無言の空気を感じました。
言ってたこととなんか違う!おかしい!と何度も思いました。
そういう葛藤を経て、仕事にも家族にも、見えない奴隷の鎖がたくさんあって、男性も女性も同じように囚われているんだ、と感じました。「常識」とか「通例」とか、そういう言葉で「守るべき規範」として教えられてきたことに、自分の意志で立ち向かうのは、思ったよりしんどかった。


「あるべき姿」というのは思ったより頑丈で、充分自由に生きてきたつもりのわたしでも、意識しないまま、とても重い鎖を引きずっていました。だから自分のことを責めてしまっていたのだと思います。そして心のどこかで同じようにそういう誰かを責めていたんだと思います。


もちろん出産など性差で取り替えの利かないこともあります。
でもその先にある実現方法はひとつじゃない。それを考えて話し合って、ふたりがやりやすい方法を探すのが結婚であり、家族を作っていくことなんだろうなと思うようになりました。誰に何を言われても、自分とパートナーが幸せならそれでいい、と覚悟を決めたら、とても楽になりました。


自分が苦労したから他人も苦労しろ、というのはもうやめたいです。


法に触れたり、誰かを傷つけたりしない限りは、自分を含めて、それぞれの人がそれぞれなりに、楽しくて幸せに過ごせる方法を探して、どんどん試していけばいいじゃないか。そう思います。

うつ病死に至る病。働き盛りの主婦が本気でうつ病になったら、本人も家族も、どんなに大変なことになるか、身近でいろいろ見てるからこそ、たとえ自分が批判されてもうつ病にならないように頑張ってるし、同年代のご同輩にも、ならないように、恥を忍んでこれを書いてます。


「食通礼賛」の空気に押しつぶされる女性の憂鬱と対策
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20111023/1319406866

ということで、わたしも恥を忍んで申し上げると、「今日はもうダメだー」と思ったとき、わりと頻繁に夫にごはんを作ってもらってます!夫いつもありがとう!夫のごはんおいしいです!

広告を非表示にする