インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

死なないでいるために必死でしがみつく「何か」

ランチの帰りにお茶でも一杯と思って寄ったカフェの
向かいの4人がけの席にかわいらしい女の子が4人。


きっとハタチ前後で、みんなまつげぱっちりでお化粧も上手で、
かわいいのうと思って本を読みふけっていたら、突然、涙声と鼻水をすする音が。


ぎょっとしてそれとなく見回すと、
そのかわいい女子4人の中のひとりが本気泣きしてる。
ちょうどこちらを向いている2人のうちの左側、今どきのボブカットに
ヘアバンドがキラキラしてる女の子が、紙ナプキンで目尻を押さえながら
切々と友達に何かを話している。目がうるうるしてて完全に鼻声&涙声。


これは聞いたらイカンと思いながらも気になってしまってソワソワした。


耳に入ってきた言葉を総合するに(結局聞いてる)、どうやら彼女のおうちで
ゴタゴタがあり悩んでいて、とても苦しい、というのを友達に打ち明けているうちに
こみあげてきて泣いてしまったようで。


「あたしこの先どうやって生きてけばいいんだろうって」「でも妹のことは守んなきゃっておもって」
という言葉が漏れ聞こえた。他の3人の女の子たちは、体ごと彼女の方を向いて、
眉を八の字にして真剣に話を聞きながら、一緒にうなずいていた。


それを見ていたら、自分の高校時代とオーバーラップして
胸が詰まり、もらい泣きしそうになってしまった。


わたしの10代も家庭でそれなりゴタゴタがあって毎日苦しくて悲しくて
なんでわたしばっかり辛い目に合うんだよ〜ってずうっとイライラしていた。


きっかけは小学校高学年に差し掛かったころ母が具合を悪くし入院しがちになったことで、
長女のわたしは子供らしい子供でいられなくなって、周りの子とか妹がクラブ活動に行く時間帯に
ランドセルのままスーパーに寄って晩ごはんの支度をしたりしていた。


3歳から通っていたピアノもやめて、公文だったか日能研だったか忘れたけど、
通い始めた学習塾も5年生になるときに「お金がもったいないから、いい」と父に話して、やめた。
なぜか妹に家事分担を頼むことは考えられず、わたしが我慢することで妹が大好きなバスケを続けられたり
(事実、妹はバスケがうまくクラブ活動ではアイドル的に人気があった)父が楽になるなら
それが一番いいんだ、と勝手に思い詰めていた。母の病気は長引いて、退院してはまた入院し、
また…という感じで、1年の約半分を病院で過ごす生活がわたしが中学を卒業するころまで続いた。


中学2年のはじめ、家事が終わらなかった朝(寝坊して時間内に洗濯物が干せなかったんだと思う)、
ふいに学校に行きたくなくなって、そのまま学校には行かないでのんびり家事をして過ごす、
という日が続いた結果、軽い登校拒否になり、相当担任の手を焼かせた。
高校受験は出席日数もギリギリだったし頼る人がいなくて誰にも相談できないまま、
とりあえず入れそうだった県立高校に入学した。


今となってはあれはあれでいい経験だったな〜と思えるけど、
高校に入ったころ鬱憤を晴らすようにはっちゃけて自暴自棄になり
似合いもしない茶髪にルーズソックスをはいてミニスカートで夜遊びをして(コギャル世代…)
「カワイソウな子供だったワタシ」にひたって恨み節を抱え過ごしていた。


そのとき話を聞いてくれたのは通っていた高校の友達であり、バイト先の友達だった。


「学校」「バイト先」っていうコミュニティで過ごす時間をなんとかやりすごすだけの
仲間だと思っていたけど、それでもそれなりに彼女らはわたしの話を聞き、
わたしの子供時代に同情し、みんなで泣いてくれた。


誰かが自分のために泣いてくれることで何かが癒される気がして、わたしも泣いた。
みんなそれぞれがそれぞれの悩みを抱えていて、誰かのうちに泊まりがけで遊んだりすると
話者が持ち回りであるかのように必ず誰かの不幸話と涙のショウタイムがあった。


30代になった今の視点で見ると、それは単なる傷の舐め合いだったんだけど、
その頃のわたしには、それが必要だったんだなとよくわかる。
みんなで集まって深夜2時に不幸話をして泣き慰めあうことで、目から涙と一緒に
辛かったことがぼろぼろ流れ出ていって、黒い塊が体の中から少しずつ消えていく気がしていた。


繰り返し繰り返し、彼女たちとその話をして、泣きあかす夜を何度も過ごし、
気がつけばそういった類の話をだんだん誰もしなくなっていった。


23歳頃、思い立って人生を変えようと違う方向に歩き始めたときから
徐々に彼女たちとは疎遠になっていき、いま身近にいるのは20代後半になってから東京で
知り合った友達ばかりで、地元の彼女たちのことはmixiの日記とか年賀状程度でしか知らない。
ほとんどが地元で職を得るか子供をもうけて家を買い田舎に越した子ばかりで、
都内でこんなに激しく働いてるのは、わたしだけだ。


あまりに大きく道が別れすぎてしまったから、きっともう会う機会はないだろう。


それは20代が終盤に差し掛かったとき、出産をした彼女たちのうちのひとりの家に
招かれて久しぶりに行ったときに、共通で盛り上がれる話題(思い出話以外の)の少なさと、
彼女たちから投げかけられた「なんでそんなに一生懸命働くの?」という言葉に
ああもうこの中でわたしは異質なんだな、とさみしく思ったせいもある。


それでも彼女たちはわたしの10代の毎日を形づくってくれた友達で、
死にたくなるような日々で、死なないでいるために必死でしがみつくための
「何か」だったんだなーと実感した。


ヘアバンドの女の子の悩みが早く解決するといいなあ、
そして彼女たちの今が幸せだといいなあ、と思いながら店を出た。


#春はセンチメンタルになりますなー