いろいろありまして以下の結論に至ったのです。
大切なひとが大きな決断をしようとしているとき、
適切なアドバイスがあげられなくてもいいから、
成功しても失敗しても、変わらない態度でただそばにいてあげること、
成功しても失敗しても、「がんばったね」と言ってあげること
まあそんなことを考えておりまして、
もし誰かのことを大切なひとだ、とおもったら
たったひとりになっても味方でいてあげよう、
迷いや失敗も肯定して励ましてあげよう、
(甘やかすのとは別)ということを決意したのですが
まー、なかなかどうしてむずかしい。
結局そこに「自分」が出てきてしまうのですね。
味方ではいるんだけど、愛を注ぐだけではなく自分にたいしても
なんらかのことを求めてしまうというか。見返り?
「そんなこと言うけどわたしだって」ってやつ。
「わたしだってつらい」
「わたしだってがまんしてる」
「わたしだってもっと優しくしてほしい」
みたいな。
自分を与えようとして努力すればするほど
それに比例して求めるものも大きくなってしまうというか。
今年の目標である「ひたすら与える」の境地に至るには
まだまだ遠いようです。
がんばるお!
いやーでもこれ出家でもした方が早いんじゃないだろうか。
- 追記
とか書いてたら某氏に
「出家の際にはお坊さんを紹介します」といわれたので
これは見合い→破談→出家という流れ?