インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

「わたしは誰にも必要とされていない」という闇

▼ 秋葉原殺傷「取り返しつかない」、加藤容疑者が反省の言葉
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080625AT1G2404N24062008.html

関係者によると、同容疑者は「うそはつきたくない」と取り調べに素直に応じ、取調官について「初めて話をきちんと聞いてくれる人ができた」と話しているという。

この記事をみて涙がでた。


日々ノリノリだし元気だし楽しいし
周りを愛して愛されて生きてると思っているけど
やっぱりそれでもわたしの中に同じ闇はある。


誰にも必要とされていないんじゃないか
誰かに必要とされる日なんて来ないんじゃないか


とかとか。
おもうときがある。


「誰かに必要とされたい」はわたしにとって
「あの人が一番必要とする人になりたい」に近くて
それが果たせなかったときに闇はあらわれて
ものすごくいやな、ゆううつな気分にさせる。


もっといえば死んでしまいたい、
周りをめちゃくちゃに傷つけて消えてしまいたい、
と思いつめる。ことが一度もなかったとはいえない。


ただわたしにとっての救いはこのプライドの高さで
それで自分を抑制できているところはとても多い。


でもこれがへんなふうに倒れると、プライドの高さゆえに
他人に無碍にされている自分を認められなくて爆発し
他人を攻撃する、ということになるのかもしれない。


八つ当たりのように他人を攻撃しちゃいけないとおもうし
したくないし、しないとおもうけど、でも、気持ちはわかる。


わたしにも同じ闇がある、っていうのはそういう意味。


わたしもいつかどこかで箍がはずれたら、
他人や身の回りの人を傷つけるかもしれない。
そういう恐怖はつねにどこかにあるから、
日々大切に生きようとおもうし、自分をこれ以上
傷つけるような生き方はしないでおこうとおもう。


いまでもたまに闇はあらわれる。
失恋したとき、仕事でひどいことを言われたとき、
提案した企画をボロカスに言われたとき。


つまり、思いが一方通行で、それを拒否されたとき。


でも、一方通行でも相手を思いやり、尊重し、
自分をさらけだして理解してもらいたい、と
オープンなスタンスでいることはやめたくない。


なんでかは分からないけど、
その方がわたしにはここちよいから。
自分がここちよく生きるために悩み考え
努力してあげられるのは、自分しかいない。


誰にも自分が必要とされていない、
という状態は残酷だけど実際にあることかもしれない。


それはわたしには理解できない、ごめん、としか言えない。
でもだからといってそれは他人を傷つけることの理由にはならないとおもうのだ。


他人を傷つけることで、自分の未来まで傷つけないで欲しい。
自分の未来を守ることができるのは、あなたしかいないんだから。