インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

上達する人させる人

他人の目を気にせず、上達そのものに喜びを感じる
http://togetter.com/li/472892


なるほどなーと思うところ多かったのと、わたしも「出来ない自分」が恥ずかしくて認めたくなくて、それで余計にうまくならないっていうの、あったなーという思い出と合わせて備忘。

楽器演奏を再開して2年くらい、の話

3歳くらいからピアノを始めて、中学生の頃は部活動でエレキベースを弾いていて、楽器を演奏することの基本はなんとなく理解していたのですが、引越しに伴い転校し、そのままずっと楽器に触れる機会がありませんでした。

30代になり、音楽を生業にしている夫と結婚して、身近に音楽(CDもレコードもそれ以外も)が常にあふれ、鍵盤とかギターとかの楽器がすぐ近くにある生活になり、やっぱり音楽っていいなーと再認識する機会が増えました。
さらにとってもカッコいいベースが我が家に来たことで楽器練習を再開し、2年弱?くらい。今はベースよりドラムのほうを触る機会が多いですが、どちらにしても定期的に楽器を触って音を出す、ということが当たり前の生活になりつつあります。
(社会人になってから、夫と結婚する前に三味線を習いに通っていたのですが、なんか楽器演奏、という感覚じゃなかったんですよね。楽しかったけど、なんか「お稽古」感がありました。合奏しなかったからかな…?)
なかなか最初はうまくならなくて、うまくならないと楽しくないし、心が折れそうになっていたんですが、それでも子供の頃に比べるとうんと楽しいし、うまくなっていく手応え、みたいなのを感じる喜びがあります。

子供時代は「お稽古」みたいなのより他のことが楽しかったせいもあると思うんですが、やっぱりいちばん近くにいる夫の教え方?見守り方?みたいなのが本当に上手で、やっぱりプロはすごいなーって思うので、なにがすごいんだろうと考えた、その結果。

相対的な評価を客観的に伝える

「譜面の通りにできている」もしくは「聴いた演奏の通りに鳴らせている」については、ハッキリ言って最初は全然だめでした。他には、運指が悪いとか、音の鳴らし方が汚いとか、単純に技術レベルが高い低いかの話。
ここを指摘されるのは本当にしんどくて、悲しくなったり「もうそんなこと言うのやめて!」って逆ギレしたこともあったのですが、でも事実として「できてる」「できてない」は指摘されないと、練習する際に「どこを意識して弾くか」がぼんやりするので、すごく重要だなと思いました。
ここですごくありがたかったのは、「練習してないからダメなんだよ」とか「怠けてるからそうなるんだよ」みたいな、感情的な意見を差し込まれることがなかった、ということ。
技術レベルが低いことを指摘されるとき、そういう言い方をされていたらわたしは絶対にやる気を失っていたと思います。

絶対的な評価を主観的に伝える

実際にものすごくヘタで、全然指も動いてないし耳も音を拾えてない中で泣きそうになりながら練習を続けいて、まあ今でも相当ヘタなんですが、それでもがんばって続けるぞーって思えたのは、技術レベルとは別の軸で、「最初に比べたらうんと上手になってるよ」と肯定してもらえたから。
「技術的にヘタ」なことと、「始めたときから今を比べたときちゃんと上達している事実」は並立するわけで、ヘタはヘタなりに、ちゃんと一歩ずつ上手くなってるよ、と認めてもらえたことが本当に嬉しかった。
たぶんここを肯定してもらえたから、自分が超ヘタ、ということも、自分で受け容れられたんじゃないかなーと思います。
ヘタなことに変わりはないけど、ちゃんと頑張ってるじゃん、偉いじゃん、と言ってもらえたから、別に今までのことも無駄じゃないんだって自信が持てて、その自信があるから地道な練習を続けようと思える、というか。
このバランスの取り方を掴んでからは、直接的に褒められなくても「これだけやってるんだから、やってなかった頃よりは上手くなってるはず!」って自分で自信を持てるようになったと思います。

それは本人の努力によるものと肯定する

で、「技術レベルの指摘」と「努力の肯定」は割といろんな先生がしてくれることなのかもしれないんですが、わあめんどくさい、ってなるのが「俺が教えた通りだろ?」とか「言ったとおりやったら上手くなっただろ」とアピールされること。
もちろんご指導ご鞭撻の賜物には間違いないんですが、何か、そういう言われ方をされるとすごく萎えるというか、特にプロになるわけでもない、単なる趣味として楽しもうとしていることなのに、なぜマウントポジションを取られてまで続けなければいけないんだと思っちゃうんですよね。
わたしがひねくれてるせいもあると思うんですが……。
楽器演奏についてはそういう経験はなかったのですが、仕事面でそういう「あいつが結果出せたのは俺様の指導のおかげ」的なポジションを取る先輩とか上司にたまにぶつかっていて、自分もそうだし、後輩や同僚がその言い草にしらけてやる気を失ってるのを目にしていたので、ここは指導者が気をつけるポイントとしてはすごーく重要なんだろうなーと実感しました。

いろんな人に教わったり、家で夫に見てもらってできなかったところが弾けるようになったとき、「ほら、教えた通りだろ」じゃなくて、「すごいね、できるようになってるよ、がんばったじゃん!」って素直に褒めてもらえると、こちらも謙虚にありがとう!と思えるし、もっと積極的にがんばってみようって思えるようになったので、教え方って大事だなーと思いました。

時間や労力を割いて懇切丁寧に教えてあげたぞー!って思えば思うほど、ついこういう言い方ってしたくなっちゃうと思うんですが、グググと堪えて、がんばった相手を褒めることに徹したほうが、自主性も伸びるし、結果的に相手もちゃんと感謝を返してくれるんじゃないかな。

煩悩を捨て、目の前のことを積み上げていくしかない

この「煩悩が邪魔している」っていう言い方、すごくいいなと思いました。本当にそんな感じ。
上手いって言われたいとか、かっこ良く見せたいとか思うと絶対にダメで、すべきことを実直にやって、アウトプットを美しくすることに意識を集中していると、周りがどう見てるかとか、どうでもよくなってくるんですよね。もちろん気付かないわけじゃないんですが、意識を向ける優先度が下がっていく、という感じ。
仕事でもそうですね。余計な雑音は無視して本質的なことに集中するほうが、結果の精度は上がっていくと思う。

何かを練習して上手くなりたい、と思うときに、第三者がどう思うか・どう見るかも気にしちゃうのは当然だし、楽器演奏は「カッコいい」って言われることも喜びの一つではあるのですが、そこにばっかり囚われていると上達のスピードってあがらなくて、自分と楽器、自分と自分の身体、みたいな、1対1の関係をしっかり見てコントロールできるように練習していくことが近道なんだろうなと思います。
自意識過剰って何歳になってもつらいので、早く解脱したいな!