インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

180715-0721の日記

今週も暑い一週間でした。いかがお過ごしでしたか。

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三連休の最終日を利用して、素敵な友人カップルが遊びに来てくれたのですが、へべれけになるまで飲み歩いた友人に自分が産んだ子供を抱いてもらうのは、何というか、たいへん感慨深いですね。しかも手作りのダイパーケーキまでプレゼントしてもらって、とても楽しい時間。思わず飲みすぎてしまいました。

週の中日には、夫に子供を預けて仕事の打ち合わせへ。最近はフリーランスで動いているので、産後すぐでも自分のペースで仕事が再開できるのは助かります。打ち合わせの帰りに横浜のスカイスパへ。

www.skyspa.co.jp

初めてだったのですが、

□メリット

  • 駅から近い
  • 館内の清掃がマメ
  • アロマのいい匂いがする
  • さほど混み合っていない
  • サウナが2種類
  • 水風呂が16度

□デメリット

  • やや割高(2,370円)

という感じで大満足でした。暑い日の水風呂はいいですね〜。

 

さて今週読んだのはこの本。 

恥しがりやで受け身で、心の底でいつもびくびくしているあなたは、不幸にもあなたを否定する人の眼を、あなたのなかにとり入れてしまったのである。  

You have right to be here.このメッセージを、生まれてから六ケ月の間に受けることが大切であると、パメラ ・レヴィンという女性の交流分析学者は言うが、まさにその通りであろう。 

というあたり、納得感を得つつ読めました。娘はもうすぐ3ヶ月なので、たくさんメッセージを与えたいと思います。

 

もう1冊読み始めたのがこの本なのですが

インタビュー

インタビュー

 

こちらもすごく面白いです。わたしはコラムを書くことはあってもめったにインタビューをすることはないとはいえ、「インタビュー」という手法を通じて相手と自分の間に生まれる何かを作っていく、という話はとても興味深く感じました。ウェブメディアでもインタビュー中心の媒体をよく見かけますが、ここまで踏み込んで対象者の話を聞けると、楽しいでしょうね。

 

しかし暑い!こういうときはハッカ油を駆使して乗り切りたいものです。

今週はそんな感じです。

チャオ!

180708-0714の日記

今週も暑い日が続きましたね。夏バテなど大丈夫ですか?

今週は、娘が生まれてちょうど2ヶ月だったり、娘の予防接種があったりと、時間の速さを実感した週でした。体調を崩していたので、夫が娘を予防接種へ連れて行ってくれたのですが、帰ってきて腕に絆創膏をたくさんつけた娘を見たら、痛かっただろうによくがんばったなあ、と、思わず涙が出そうになりました。こうやって成長を見守っていくんだなあ。

ということで、親として娘に何がしてあげられるのか、ずっと考えていたところ、何よりも「自己肯定感」を与えてあげることが大切なのではないだろうかということに思い至り、そういう本に興味が出ているようです。
今週読んだのはこちら

自分のうけいれ方(愛蔵版)

自分のうけいれ方(愛蔵版)

 

まず親である自分が自己肯定できていないと、どうしてあげればいいのかわからないだろう、と思って選んだのですが、読めてよかった。自己啓発本はなんとなく避けていたのですが、他者に言語化してもらうことで改めて実感することもあると思うので、今後は食わず嫌いせず読んでみようと思います。特に今回は本の中の一文に

母親の役割は子供の不安を取り除くことである。医者と母親では役割が違う。

とあり、まさに今の自分の心境と重なりました。

いま読んでいるのはこちら。こちらも同じ論調ですが、興味深いです。

 

わたしは自他ともに認めるアダルトチルドレンなので、みんなが知ってることを知らなかったり実感ができていなかったりすることがあるため、大変学びがある。とはいえ、わからないなりに自分で会得してきた法則のようなものもあるわけで、そことの合致もまた新しい学びであったりするわけです。


以前も書いたのですが、娘に限らず、大切な人にできることというのの実際は、本当に限られていて、自信を絶対にくじかないこと、自信を持ってもらうヒントをたくさん見つけて伝えること、だと思っています。

つらいことや悲しいことから守ってくれるのは
最終的には自分が他人に肯定されている、愛されている、
という自信だけだと思っていて、それをいかにたくさん、
一緒に見つけられるかだと思っています。

ひたすら相手のいいところを見つけて言葉で肯定し続ける、
その積み重ねは自信になって、その自信はわたしがいなくなっても
わたしの大切なひとをつらいことから守る盾になってくれると思っています。

大切なひとにできるただひとつのこと - インターネットの備忘録

 

今は娘とそこまでのコミュニケーションは取れないけれど、たくさん笑いかけて、たくさん抱きしめてあげて、あなたはそのままでいいんだよ、というメッセージを伝えていければいいなと思ったのでした。

 

あとは今週でたこちらも気になっているので、時間を作って読めたらいいな。

 問題地図シリーズは読みやすいので、今度出る「マネージャーの問題地図」も楽しみです。 

マネージャーの問題地図 ~「で、どこから変える?」あれもこれもで、てんやわんやな現場のマネジメント

マネージャーの問題地図 ~「で、どこから変える?」あれもこれもで、てんやわんやな現場のマネジメント

 

 

今週はそんな感じです。
チャオ!

180701-0707の日記

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だいぶ間が空いてしまったけれども、文章のリハビリも兼ねて日記を再開しようと思います。文章を書くというのは筋トレと似ていて、しばらくサボるとどんどん書く力が衰えていく気がする……。

ということで日記です。

 

今週は夫のきょうだいが遊びに来てタコパをして海まで散歩をしたり、通院でクタクタになったり、わりと活発に動いた日でした。あとは先週の話だけど本を読むエネルギーが戻ってきたので、積極的に気になる本を手に取るようにしています。

たこ焼き器はガスのものを買ったのですが、電気式のより熱量があってカリッと焼けるのですばらしい。冬場にお鍋をするため買ったカスボンベが有効活用できました。

市販のたこ焼き粉に卵、水で生地を作って、そこに紅生姜、ネギ、天かす、タコを入れて焼くだけです。同じたこ焼き器でアヒージョもできるよ!というので試してみたところ、楽しかった〜。こちらはオリーブオイルににんにくみじん切り、塩(多め)、あれば鷹の爪を入れて火をつけたらエビやマッシュルームなど任意の具を入れて煮るだけ。簡単ですね。

 

さて先週読んだ本2冊、どちらも面白かったので備忘です。

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術
 

文章が読みやすく都度具体的な解消方法が明示されているので、「あっこれは使える」というTipsがたくさんありました。 

 

女と仕事 「仕事文脈」セレクション (SERIES3/4 3)

女と仕事 「仕事文脈」セレクション (SERIES3/4 3)

 

 こちらも面白い一冊。ずっと気になっていたので読めてうれしい。植草一子さんも寄稿されていて、そちらも良かったです。

 

今日は七夕ですね。特に七夕のお願い事はしないのですが、豪雨の被害にあわれた皆様、復旧作業に従事されている皆様の安全を心よりお祈りしております。

よわくてもろい

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娘を産んで3週間が過ぎた。新生児というのは本当に柔らかく、柔らかいランクでいうと猫を上回る。実家で飼っていた犬を抱いていたときには、この世にはなんて温かくて柔らかい生き物がいるんだろうと思っていたが、猫を飼い始めてその思いは上書きされた。抱き上げたときの猫はまるで液体のように柔らかい、と思っていた。しかし新生児はそれをさらに上回る。我が家の猫は約5キロ、成猫のオスということもあるが娘よりも今のところ身体が大きい。娘の体重は約3.6キロ。身長は出生時の計測でいえば47センチ。小さい!小さすぎる!3.6キロなんて、精米ひとふくろよりも軽い。そして柔らかい。というかそもそもまだ首が座っていないので、抱き上げたとき首の後ろを支えないと、頭がぐらんぐらんして落っこちてしまうのではないかと思うほどだ。

こんなに弱くてもろい生き物が、しかも犬や猫と違って目を離さず世話をしないと簡単に死んでしまうような生き物が我が家にいる。我が家にいる、というか自分の腹の中で約10ヶ月かけて育み、大量の血と水分と共にこの世に排出したのだから「我が家に来た」というほうが近いのかもしれないけれども、ともかく、赤ん坊というのは本当に弱くてもろい。どうやら脱臼もしやすいらしく、服を着せるにも神経を使う。前述したが抱き上げるときには頭の後ろを支えないとガクンと首が落ちるし、ミルクを飲ませたあとにゲップをさせないと間欠泉のごとく口から飲んだミルクを吐き出してしまう。なんて弱い生き物。

 

そんな弱い生き物との同居が始まり3週間。自分の弱さも見えてきた。「育児は大変だから子育て中のパパやママを労いましょう」という記事の「育児は大変」部分に過剰反応してしまい、この先、この記事のような事態になっても自分はちゃんとこの子を育てられるのか、今でさえ手一杯に感じるときがあるのにこれ以上大変になったらどうなってしまうのか、と気持ちがたいぶ滅入った。滅入ったついでにツイッターで愚痴を書いてしまい、様々なアドバイスや暖かい言葉をもらって自分の心を慰めるという大人としてはちょっと恥ずかしい行動に出てしまった。ああ、わたしだって弱くてもろい。40年、なんだかんだいろんな経験をしてきて、仕事でも嬉し泣きは増えても悔し泣きはほぼしなくなった。はずだった。要するに「できる範囲」が広がり、調子こいていたのだ。

 

それがどうだろう。子供を産んでからというもの、身内の言葉に落ち込んだり、アドバイスが脅しに感じられてしまったり、助産師の指導に追い詰められてみたり、からっきし余裕がない。妊娠中、あまり文章を書く気が起きなくなってしまったときは「まあこれもホルモンバランスの変化だろう」と鷹揚に構えていたけれども、産んでからこっち、どうやらそうもいかない。ホルモンバランスの変化だ、疲れの蓄積だ、とわかっていても、いろんな言葉や文字が自分の周りを取り囲んで、ジリジリと追い詰めてきているような気持ちになってしまう。

 

と思ったところでややホッとしている自分もいる。愚痴を書いたおかげで、心優しい人たちからアドバイスがもらえたことだ。思えば仕事面ではここ10数年、アドバイスをする側ではあっても愚痴ったりアドバイスをもらうことは減りつつあった。誰かの不満を受け止めることはあっても、自分の不満をぶつけるのはしにくい立場にここしばらくは居たように思う。でも考えてみれば、子供が生後3週間ならわたしも母親着任3週間、まだピカピカの新人なのだ。アドバイスをもらったっていいじゃないか。そう思うと、心が軽くなるような気がした。

 

なんだ、弱くてもろくたっていいんじゃないか。だってまだ新人なんだから。と開き直りの境地で、もうしばらくはこの弱くてもろい生き物と、弱くてもろい自分と付き合っていけそうだと思う。

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

わからないことは頼めない

過日、無事に女児を出産しました。お元気ですか。

噂に聞く通りまとまった時間が取れないので何か書こうと思ってもなかなか筆が進みませんが、母子ともに、夫も元気に過ごしています。

実際に経験した分娩、というものは辛く、長く、そしてとっても痛い(身体的に)ものではありましたが、人生においてそうそう何度も発生しないイベントだけあって様々なおもしろが発生した出来事でもありました。我が家は自然分娩かつ夫がフル立ち会い、というスタイルだったので、陣痛に苦しむ間、ずっとそばに夫が付いていてくれており、大変心強いものでした。

破水から約19時間、間断なくやってくる痛みと全然出てこない子供の頭を待ちながら、いろんな話をしました。これまでのこと、たった今感じているの痛みのこと、これからのこと、将来、未来のこと。とりとめもない話を陣痛の合間で夫とできて、それまで「腹を何かわけの分からないものに貸している」という感覚だった胎児の存在が、そんなものではなく、確かに間違いなく自分の股の間から飛び出てきて、ここにいる夫と育んでいかなければいけない、もろく弱い生き物なのだということが実感できました。

やっかいな子宮筋腫と共存し約10ヶ月、約1.5リットル弱の出血と共に赤ん坊は生まれてきて今、わたしの隣で寝息を立てています。ここに至るまで様々な人のサポートや心遣いをもらいました。ああ、一人で産むんじゃないんだなと思えた19時間でした。プロの仕事はすごかった。

ここで思い出すのが「陣痛中、マジで旦那が使えない問題」でした。よく聞く話ですが、陣痛中に夫がまったく役に立たず、むしろ邪魔だった、思わず暴言を吐いた、といった類の話です。確かにわたしも痛みに耐えているとき、夫の撫でさすりが逆効果すぎて「触らないで……」と言ってしまった瞬間もありました。でも振り返ってみると、アレは自分でもどうしてほしいか分からないから、夫にもどうしてほしいか分からないんですね。そこにプロである助産師さんが絶妙なタイミングで適切な撫でさすりを与えてくれる(一見、夫と同じことをやっているように見える)ものだから、夫は混乱、わたしも混乱、みたいになるんだなと感じた次第でした。

ただ陣痛中、わたしが迷いなく夫にしてほしかったのは、そばにいてもらうこと、声をかけ続けてくれること、手を握って一緒に子供を待ってくれることでした。あいにく夫の仕事の締切と出産が重なってしまい、深夜の病室で夫が仕事をするためそばを離れることが数回ありましたが、わりとそれは些末なことで、夫がそばにいてくれる、いてくれようとしてくれる、その気持ちが伝われば距離や何をしているかはその次、ということがよくわかりました。これはたぶんわたしが「してほしいこと」がはっきりしていたからだろうと思います。

など理屈っぽいことを考えてみてはいるものの、無事に終えられてホッとしています。高齢出産で不安も多々ありましたがなんとか乗り越えることができたのは夫がそばで最大限の気遣いと愛情を持ってわたしを励ましてくれたからで、ああ作ったのも二人だけど、産むのも二人で産んだ子供だなあ、としみじみしています。感謝ですね。

忘れないうちに、またこんなようなことを書いてみたいと思っています。

今日はそんな感じです。
チャオ!

妊婦の身体は誰のもの?

妊娠してみると、自分の腹の中に自分以外の意思を持った何かが生きている、という感覚が、なんともいえず不思議である。自分の子供であるのは間違いないとしても、それはわたし一人の意思でできたものではないし、ましてや妊婦向けの書籍なんかを読むと「授かる」と表現されていて、なんというか、「作った」というよりは、「何者かから与えられた」感が強い。自分ひとりの力ではどうしようもできない何かを感じることがある。

 

 

それは悪阻のときも同じだった。元々あまり身体が丈夫な方ではないものの、それだけに自分の身体の不調には敏感であるという自負があった。なので無理はしないし、早めに休養を取るよう心がける方だった、と思う。しかしそれでも太刀打ちできないほどの、激しい不調が襲ってくる。強いて言うなら、24時間絶え間なく二日酔いのような感じで気分が悪い。寝てもだるい。起きてもだるい。食べるのが好きなのに、食べると吐きそうになる。あまりよく眠れない。さらに臨月が近づくにつれ、巨大化していく胎児に膀胱が圧迫されて頻繁に尿が出るようになる。現時点では2〜3時間おきに起きてしまう(これは個人差があるかもしれません)まったくこれには参ってしまった。

 

 

また妊娠していることが分かると、同席している人にお腹を触られることがある。触る前に「触ってもいい?」と聞かれるのはまだいいほうで、いきなり「おっきくなったね〜〜!」と明るく撫でられたりして、ギョッとするときもある。これは不快感というよりは、普段他人とあまりスキンシップを取る方ではないので、それまで普通の距離感だった相手が極端にグッと距離を詰めてくるので面食らう、といった感じだろうか。感覚的に、実際にお子さんがいる人は懐かしさもあるのかもしれない、カジュアルにお腹を触ってくる人が多いように感じた。(これも個人差があるかもしれません)

 

 

他人でその距離感であるならば、胎児の共同作成者であるところの夫はどうかというと、もちろん何気なく腹を触って「大きくなったね……」と事あるごとにしみじみしている。しかもなにやら「お腹を見ていると、宇宙を感じる」と言い出しており、この腹の丸さと巨大さから何かの惑星を連想するらしい。言われてみれば、確かにこの腹の中で起きているワンダーは今まで自分が経験してきた事象を超越していて、時間はかかるものの、自分の腹の中で人間の脳や内臓や皮膚や爪が生成されつつあると思うと、何かの神秘を感じずにはいられない。しかもそれは腹から出てきたのちに人格を持ち、わたしたちと同じように人生を始めるというのだ!

 

 

これは余談だが(というかこの文章はすべて余談だが)わたしは卵巣嚢腫に罹患し切除手術をした経験があって、たまにそのときのことを思い出す。腹の中で妊娠もしていないのに、勝手に髪や爪をせっせと作っていた自分のいじらしい生殖器。そのことを振り返ると、なんとなく「今度はその努力が報われてよかったね」と思わずにいられない。当時の手術で取り出された髪や爪、歯の一部といった人間のパーツは当然ながら廃棄されてしまい、「せっかく頑張ったのにごめんね」と思っていた。そうした経験を思い出すと、「自分の身体を何かに又貸ししている」ような座りの悪い感覚は出産終了まで拭えないのかもしれないけれども、長い一生のこの10ヶ月くらい、未知の何かに自分の身体を貸し出してみるのも悪くないのかもしれないと思っている。

 

 

今日はそんな感じです。
チャオ!

2017年9月から、2018年3月までの記録

昨年の夏の終わり、妊娠していた。正確にいうと今もまだ妊娠している。高齢出産ということもあり、あまりブログやSNSなどに書くのを控えていたけれど、いよいよ産み月が近づいてきたので、思っていることをメモしはじめようと思う。

 

 

妊娠は計画的ではなかったが無計画でもなかった。夫(当時は恋人)に自分の持病のこと、子供を望めないかもしれないかもしれないことを伝えていて、両者の合意は得られていた。「ふたりでいるのが楽しいから結婚するわけだし、子供の有無はその次じゃない?」と言ってくれたのが心強かった。なのでわたしたちの意見は「積極的に取り組むことはしないが、できても構わない」というスタンスでいよう、という着地をみた。それから約9ヶ月。結婚の準備を進め、同居の準備を進め、親への挨拶が済んだあたりで「これはあやしいぞ」という兆候があった。1週間ほど様子を見て、ひとりで薬局へ立ち寄り、妊娠検査薬を買い求めた。

 

 

検査薬を購入したその足で下北沢のライブハウスへ向かい、夫(当時は恋人)と合流した。ライブ開演の待ち時間のトイレで検査薬を使った(待ちきれなかった)。結果は陽性。ライブを楽しみつつ、頭のどこかで「なんて言おう。どうやって伝えよう。いつ報告しよう」とグルグル考えていた。その夜、彼の家に行き、ライブの感想なんかを言い合ったりしている最中に「そういえば」と切り出した。相手のリアクションは覚えていない。喜びと戸惑いと「でもこれは喜ばしいことだ」という葛藤が顔の表情に見られたように思う。彼は13歳年下で20代。入籍もまだこれから。2〜3年は新婚生活を楽しみたい、という気持ちは知っていた。わたしだって同じ気持ちだった。でもそれは唐突にやってきて、わたしたちの生活を変えていった。

 

 

転居と悪阻の時期が重なったのは辛かったが、夫が目覚ましい活躍を果たし、ほぼ荷作りをしてくれた。転居先は海と山が近くにある小さな街。都心からは約1時間。駅から歩いて商店街を抜け、約13分。便利とは言えないが、とりたてて超不便でもない。暮らせる程度の不便。築年数は古いが風通しの良い3DKの広い部屋を借りられていた。新しい住まいでの生活は夫の献身的な協力もあり、悪くなかった。日に日に寒くなる気候を除けば。下がっていく気温は体力と気力を奪い、産休を待てず会社を辞めることにした。その間も子供は育っていたが、まったく実感がなかった。

 

 

実感が湧いたのは7ヶ月に入った頃。いわゆる「胎動」というものをはっきりと感じはじめてからだった。腹の内側からボコボコと「何かが動いている」という感触は、最初は物珍しかったけれども、そのあまりの強さに不快感を覚えることもあった。産婦人科の検診で「1時間〜40分おきくらいに寝て起きてを繰り返しているんですよ」と教えてもらい、自分の中に自分とは異なる意思を持つ生命がいるんだな、ということがやっとわかった。それまでは、身体つきの変化と大きくなっていく腹と、常にだるい、という体調不良のことしか見えていなかったのだ。

 

 

さて自分の中に新たな生命体がいる、ということを実感して思うのは、「いま自分の身体には人間の肉体が2セット装備されているんだなあ」ということ。脳に顔、手足、その他内臓が、自分のぶん以外にもう1セット。しかもそのもう1セットは猛烈なスピードで日々作成されていて、その制作状況を医師や助産師が逐一見守り、健やかな成長を願ってくれている。これはなんというか、自分で自覚する初めての体験だった。もちろんわたしが幼い頃は両親や親族がわたし自身の成長を見守ってくれていたに違いないのだが、その対象が自分自身を含めた自分の内部に向いている、というのはなんとも不思議な感覚だった。期間限定ではあるものの、この肉体はもうわたしだけのものではなくなってしまったのだ。

 

 

みたいなことを最近つらつらと考えているので、出産までの間にこういうことを書き連ねてみようと思っています。

今日はそんな感じです。
チャオ!