インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

今週のお返事です

いただいたトラックバックへのお返事を書きます!

その前に、なんでこういうことを突如始めたかについての説明を書きます。まず、わたしは人のブログを読むのがすごく好きなんですが、多くの人が「書き始めたはいいけど、続かない」というところにぶつかる、と聞くんですね。わたしも最初はそうでしたし、いま書くことを続けているモチベーションって、書くことがもはや習慣になっているのも大きい。習慣化するまでどうやって持ってきたのか、うまく説明ができないのですが、いずれにせよ最初にブログが面白いと感じて、滑り出せたきっかけって「書いたものへリアクションが楽しい」という気持ちが大きかったな、と思うんです。なので、わたしも誰かが書いたものへのリアクションは、積極的にしていこうと思っています。

それで、「誰かにリアクションしてみよう」と思ったとき、ブックマークコメントでもいいのかもしれないし、探しに行って興味のある話題に勝手に言及していくのもいいんだろうと思うんですが、今はあまり「探しに行く」ことに時間が割けていないんですね。だったらせめて、こちらに向けて何かを書いてくれた人へは、なるべくリアクションを返していきたいなと、ひいてはリアクションを返された相手が「書くのって楽しいな〜」って改めて思って、旺盛に書き始めてくれたらいいなと、そういう下心があるわけです。あなたの物語を聞かせて。トラックバックへのお返事を書くことにした理由はここまで。では、お返事を書きます。

 

まずはこちら。

kanisan72000.hatenablog.com

学生時代に出会った先生との素敵なエピソード、とても胸があたたかくなりました。いい話や……。自分が書いたものをきっかけにして、誰かの素敵なエピソードに触れられるのは、すごくうれしいな〜。ありがとうございます。

「人との出会いは新しい人生の可能性」とよく書くのですが、そういう、過去に出会った人たちが今の自分を形づくっているのだな、といつも思います。過去に出会って関わりを持ってくれた人たちの、誰か1人でも欠けていたとしたら、今のわたしは存在しなかったかもしれない。そして、その当時はわからなかったことでも、振り返ると「ああ、あれはありがたかったなあ」と思えるようになりました。

今のわたしはそういうことを、「与えてもらう側」から「与える側」にいて(というか与える側に回らなければいけない世代で)、自分がどう立居振舞うかを考えるとき、やっぱり過去にお世話になった人たちのことがよぎります。乱暴な言い方かもしれないですが、「自分が与えてもらったものしか、他人に与えられないのかもしれない」とすら思います。

わたしは割と早いタイミングで「子供でいること」を諦めなければいけなかったほうなのですが、大人になってから改めて見守り育ててくれる人たちに出会えて、諦めていた子供時代のやり直しをさせてもらっている、と感じることがありました。その瞬間は分かっていなくても、今になってみると、彼ら彼女らのおかげで今の自分があるのだな、と思います。そういう思い出や存在が、今の自分の振る舞いを正してくれるのだろうな、とも。そんな経験を経たので、わたしも誰かにそういうことができる人でいたい、と常々思うのですが、そんなに簡単でもないようで……。まあ言うだけは、自由ですしね!

寛容さって、私のなかでは、春ののどかな昼下がりのイメージです。

ああ、いい表現だなあ〜と思いました。春ののどかな昼下がりみたいな人でいたいですね!ちょっといい匂いのするそよ風とか吹いてたりすると、なおよし。

 

次はこちら。

satohaneru.hatenablog.com

いいぞもっとやれ!!! みんなわたしにかわいい飼い猫のかわいい自慢をもっとしてくれ……!!!!! と思ってしまったエントリー。取り乱しました。ありがとうございます。動物が家族として受け入れられる話には無条件で弱いです。

保護猫を引き取って、家族として迎え入れるというのは、お迎えの仕方として共感しました。また、うちも貰い手のつかない子を引き取ったとはいえ、目が開いて間もないくらいだったのでまだ楽でしたが、ある程度警戒心のついた状態で引き取って、心を開いてくれるようになるまでは、計り知れない忍耐や心配りがあったと思います。しかしそこをふんわりと書かれていて素敵だなと思いました。

「猫ってそういうもんだよね」と思える寛容さ、大切ですよね。わたしは飼いはじめてからしばらくして「あ、猫ってこういうもんだから仕方ないんだな」と気づいたんですが、それに気づいてからは、一緒に暮らすのがすごく楽になりました。それってひいては「他者と生活を共にする」ことのキモなんじゃないか、とも思っています。一人で暮らして仕事もブイブイやってると、自分でコントロールできる範囲がすごく広くなるので、なんというか傲慢になって自分の思い通りに行かないと少しイラッとしてしまうところがあるのですが、アンコントローラブルな存在がいるおかげで「あ、人生ってそういうもんだよな」と思えるので、個人的にはとてもありがたいな、と思っています。

トメの取り柄は、なんといっても丈夫なところ。

風邪一つ、ひいたことがありません。

丈夫なまま、末永く家族に寄り添ってほしいと思います。

うちの子も引き取ってからは風邪を引くこともなく元気で過ごしていて、一緒に暮らす生き物の健康が、こんなにも自分の心を穏やかにさせてくれるのか、というのをしみじみ実感しています。トメ(仮名)ちゃんとご家族の健康とご多幸を、心からお祈りしています。

 

今週はそんな感じです。

わたしのブログを見つけてくれて、読んで言及してくれて、本当にありがとうございます。とてもうれしいです。こういう「うれしさ」を、たくさん返していけたらいいなと思っています。では、またお会いしましょう!

チャオ!

2017年第8週の日記

2017年第8週の日記です。

今週も暖かい日が続きましたが、ところどころで雨があったり雪(!)がちらっと降ったり、三寒四温という感じ。オザケンとカルテット、ラ・ラ・ランドがハイライトの一週間でした。あとは先週から続くストレスフルなプロジェクトの負荷が限界に近づいている気がして、心身ともに疲労がすごい。そのせいでイライラしたり暴飲暴食をしてしまったりしたので、なんとかしてペースを取り戻さねば……と思っています。ウワーがんばろう。

それでは今週の日記です。

20170220

月曜日。だいぶ暖かくなってきましたね。日中は変わらず忙しく、精神的に負荷のかかる仕事が続くので、ここが正念場という感じ。帰り、寄り道をして1時間ほど読書をして、気分転換を。仕事とは関係ない本を読んで没頭すると、メモリがパージされたように、頭が軽くなる気がします。今は引き続きこれを少しずつ読み進めています。めっちゃおもしろいぞ!

その後はゆっくりお風呂に入って、スマホでナタリーのサイトでのオザケンチャットを流し見、恋人と少し電話をして、就寝。

20170221

火曜日はそうすなわちカルテットの日です!今週は大森靖子さんがゲストということ、マキさんの夫が登場する回ということもあり、恋人と一緒にリアルタイムで観る約束をしたので、早々に会社を出て、スーパーへ。エビとブロッコリーのトマトソースパスタ、水菜とお豆腐のサラダ、という食卓を整え、一緒に食べながら先週のおさらい。放映前にコンビニへ出かけお酒を買ってきて、準備万端の状態で迎えました。

今週はすごかったな~!お話もすごかったし、大森靖子さん登場シーンは、まるで女子中学生のように恋人と手を取り合って見守りました。来週も楽しみ!

おとなの掟

おとなの掟

 

20170222

猫の日です。とはいえあまり猫に関連する出来事はなく。

マネジメントしているメンバーの異動が決まったりと、落ち着かない状況の中、夜はメンバーが設定してくれた「人生相談会」という名の飲み会へ。年下の女性たちは元気がよく、いくつもある選択肢の前で真剣に悩んでいて、とてもまぶしい。結婚する/しない、子供をもつ/もたない、だけでなく、恋人をつくる/つくらないも含めて、自分が「これがいいな」と思える生き方を選んだほうがいい、みたいな話を、年上風をビュウビュウ吹かせて話しまくってしてきました。

疲れとストレスもありそこそこ酔ってしまって、帰宅してからすぐ洋服のまま倒れこむようにベッドへ、恋人に「またか!笑」と言われたりした夜でした。でも深夜に目が覚めたので、ちゃんとお化粧は落としましたよ!

20170223

引き続き仕事がハードで、ストレスの蓄積がだいぶあり、そろそろ限界かな〜と思うので、水面下で調整を開始。同時に恋人に愚痴って慰めてもらったり、ごまかしつつ過ごしています。このピークさえ終わればなんとかなることは明確なものの、渦中というのはしんどいもので、「ウワーいやだよおおお」みたいな波をなんとか乗り越えています。とはいえこういうのが一生は続かないのは経験上よく知っているので、なんとかやりきるぞ。

という流れの中で、前の会社の友達から「中目黒で飲むので来てください」とお誘いがあったので飛びついて参加することに。去年の秋、熱海旅行へ行ったメンバーでもあるので、思い出話やら最近の仕事の話やら、おいしいもつ焼きと一緒にワイワイと。最近読んだ面白い本や便利なツールの情報交換もあり、なんだかんだでわたしは仕事が好きで、仕事の話をするのが好きなんだな……と思った夜でした。

そこで薦められたのがこの本で、さっそく購入。中身をちらっと読ませてもらいましたが、すごくよさそう!週末から読み始めようと思います。

いい人材が集まる、性格のいい会社

いい人材が集まる、性格のいい会社

 

20170224

金曜です。巷ではプレミアムフライデーということですが、特に職場ではアナウンスがなく、ならば自主的にプレミアムにしてやろうと決意。急いで仕事をやっつけ、フレックスを利用して早帰り。まだ明るいうちから何をしたかというと、まず新宿へ赴き、好きなお店で腹ごしらえをして、TOHOシネマズ新宿、ドルビーアトモスで「ラ・ラ・ランド」鑑賞です。

youtu.be

gaga.ne.jp

数年前から「どうやら自分はミュージカル映画が好きらしい」と自覚していて、そこへ来て注目の「ラ・ラ・ランド」公開。観に行くしかないでしょうということで駆け付けました。冒頭、渋滞の中で踊る男女に心を掴まれ、音楽とパフォーマンスのタッグマッチに酔いしれたものの、ヒロインのキャラクターがどうしても好きになれなかったのと、それ以外にも釈然としない部分が多く(でもライアン・ゴズリングは大好きになりました)「最中はものすごく楽しいしエンジョイしたんだけど、観終わった後に振り返ると、なんとなく首をひねってしまう」という複雑な感想に。でも公開初日に観れてよかったです!ちなみにわたしが現時点で一番好きなミュージカル映画はこちらです。 

20170225

日中は暖かく夜は少しひんやりした日。夜は歌舞伎町で、朝までお店に立ちました。お客さんも少なめでのんびりした夜かな~と思いきやそこそこの入りでありがたい限り。しかしそれなりに全員とゆっくり話せたので、よかったです。この日は初めて来店の方もいて、はじめましての人が常連さんたちとワイワイ一緒になって話しているのを見ているのは、うれしいです。

お店に出るようになってもうすぐ1年、仕事がハードになりつつあることもあって今後もお手伝いを続けるかどうかは微妙なところなのですが、お店がつないでくれた縁がたくさんあるので、大切にしたいなと思います。本日もご来店、ありがとうございました!

20170226

お店を閉めて朝帰宅、さあ寝ようかというタイミングで突如、身体の不調によりダウン。少し横になったあと這うようにしてお風呂場へ行き、お湯で身体を温めなんとかしのいだあと改めてベッドへ。恋人がオロオロしてお水やお茶を準備してくれたので、甘え倒して午後までぐっすり眠りました。起きたらケロリという感じだったので、ベッドの中でぬくぬくしながら久しぶりに大好きな映画「ロンドンゾンビ紀行」をNetflixで鑑賞。

www.youtube.com

そこそこえぐいシーンもあるため、恋人と観るのはやや不安だったのですが、わたしの好きなシーンで一緒に笑ってくれたのでよかった。

好きな映画で笑って元気を取り戻したので外へ出かけ、軽く飲みながら冷凍庫にひき肉があったことを思い出したので、スーパーへ。いそいそと家に戻り、じゃじゃ麺を作りました。生姜、にんにく、玉ねぎのみじん切りをごま油で炒めたあとひき肉を入れ、味噌と甜麺醤(と少し豆板醤)と醤油とお酢、塩と胡椒に白すりごまと黒すりごまで味付けをし、茹でた中華麺の上に千切りにしたきゅうりと一緒にのせるだけ。ついでに半熟のゆで卵も作ってのせました。贅沢〜〜!恋人がきゅうりを上手に千切りしてくれたし、おいしいおいしいとよく食べてくれたので、よい日曜の終わりでした!

 

今年の第8週目は、そんな感じでした。

チャオ!

夢日記_170222

湿気で洋服がべたべたと肌に張り付く。ビーチサンダルのような心もとない靴底のサンダルを履いて、どこかの路地を歩いている。周りは薄暗いが、日暮れのせいなのか、頭上を覆う建物が陽の光を遮っているからなのか、分からない。すれ違う人はみな、白い開襟シャツと綿のズボン、もしくはサッカー生地で作った簡素なワンピース(それが手作りだということをわたしはなぜか知っている)を着ていて、ゴム底でキャンパス地のズックを履き、頬骨が高く、目がぎょろぎょろしている人ばかりだ。わたしは異邦人のようで、すれ違う人たちはそのたび不審そうな顔で、こちらの顔を覗き込んでくる。その割にわたしの服装はカジュアルで、旅行客という感じではない。くるぶしまであるガーゼ素材のスカートに薄いTシャツ、カーディガン、巾着のようなバッグを下げて、どこの目的地へ向かっているのかすら、分からない。観光へ行くぞ!という高揚感もなく、繰り返しの毎日だ……という退屈さもない。中長期滞在中のどこかよその国にいて、何か食べにでも出ようか、とぶらぶらしているところ、いう感じだろうか。行ったことはないが、街の景色は、台湾の九份のようだ、と思う。

狭い建物の隙間を抜けると、海につながっている細い道に出た。コンクリで舗装されてはいるが、かなりでこぼこしており、歩きにくい。向こうから誰かがやってきたら、すれ違うのがやっとだろう。この道の先に、本当に海があるのかどうか、実際に見えているわけではないが、わたしはこの道を抜けると海につながっているということを、知っている。心なしか、潮の匂いがするような気もする。しかし本当に自分がそう思うのか、実感を得ているのかは、正直、定かではない。しかしながら、今この瞬間にはそのことが、そのことだけが事実であり真実のように思えている。とにかく、わたしはそういう道を歩き、どこかへ向かっている。

海まではたどり着かない手前に、屋台村がある。そこはトタンの壁と、簡素な屋根があり、フードコートのように四角く中央の飲食スペースを囲んで、多くの屋台が立てられている。わたしたちはおそらく、その屋台村へ向かっているのだろう、と思う。屋台村ではさほど高くない金額で、少しのお酒と簡単な食事ができ、長居していても、誰も気に留めない。しかし、お酒は瓶のものを選ばないとダメだ、このへんのやつらはコップをちゃんと洗っていない、洗ったとしても、雨水を貯めたポリバケツにコップを突っ込み、ばちゃばちゃと振ってそれで終わりだ。それをこのあいだ見かけてしまったので、オレはもう瓶ビールしか頼まないようにしているんだ。

前を歩く誰かが、わたしに向かって忠告した。その誰かについてはいま、背中しか見えない。それが誰なのかも、わからない。ただ、彼が身に着けているものが、どこのブランドの商品なのか、わたしはぜんぶ知っているようだった。KEENのウォーターシューズ、KAVUのキャップ、Karrimorの小型のバックパック。誰だか素性の知らない彼は、アウトドアに親しみ旅慣れているような服装と足取りで、わたしの前を歩いている。わたしは彼と一緒に出かけてきたのだろうか?  だとしたら、この人は、いったい誰だ?

怖くなり、ポケットを探る。スマートフォンを取り出して恋人に連絡をしようとするが、スマートフォンは表面のガラスにヒビが入り、裏面も基盤が露出するほど破損していて、画面が点灯しない。急に恐怖に襲われ、助けを求めて、叫びそうになる。恐ろしくて振り返れないし、このままこの男について進むべきではない、と、脳内で警鐘が鳴っている。周りには生温かく湿った風が吹いている。前を歩く男の足元で踏みしめられた小石の音が、わたしの耳のすぐそばで鳴っているように、とても大きく聞こえる。

目が覚めると、隣で恋人が寝返りを打っていた。ベッドの中での定位置を決めかねるように、もぞもぞと動きながら申し訳なさそうに寝返りを打ち、同時に小さく謝罪の言葉を繰り返している。どうやらなかなか寝付けずにいて、自分の寝返りでわたしが目を覚ましたのだと勘違いし、申し訳なく思っているらしい。ごめんね、まだ眠いのに、起こしちゃって、と言う恋人の髪を撫でて、夢から覚めたことに安堵する。彼は寝ぼけているらしく、「夢を見たよ、君がいなくなるんだ、でも君がいなくなったら、俺はきっともうだめになるんだ」と呟いている。そんなことはないよ、と声をかけ、静かに目をつぶる。

「そんなこと」が何を指すのか、その「そんなこと」は、わたしがいなくなることを指すのか、わたしがいなくなることにより彼がだめになることを指すのか、今となっては記憶があやふやで、わからない。が、とにかくその時のわたしが、そんなことは、ありえない、と思っていたのは確かだ。

部屋は寒かったが、ベッドの中は暖かった。カーテンの向こう側が薄く明るくなっていくのを眺めながら、わたしは安心して、もう一度、眠りについた。

2017年第7週の日記

2017年第7週の日記です。

今週は暖かい日も多く、春が着実に近づいてきているのを感じた一週間でした。スーパーにも春野菜がたくさん並び始めているのを目撃し、とてもワクワクしています。あと今週は平日に毎日なにか1つ書く、を試してみたのですが、意外と書けてよかった。そういう気分のときパッと着手するのは大切だな、と思った次第です。次からは「平日毎日」とか気負わず書こう。

それでは今週の日記です。

20170213

月曜日です。冷えつつも暖かさを感じる日。お天気がいいと気分もいいですね。

ニュースチェックをするついでに見ていたサイトで、ある本を見つけました。「東京ノスタルジック百景」。フリート横田さんの著です。2020年を前に再開発が進む東京の、喪われゆく景色を歩き取材した内容をまとめた一冊。ニュー新橋ビル、築地市場、三茶の三角地帯。通りかかったりよく目にすることの多い馴染みのある景色も含まれていますが、今までは通り過ぎるだけだった風景にどんな人がいたのか、がくっきりと浮かび上がります。 

東京ノスタルジック百景 失われつつある昭和の風景を探しに

東京ノスタルジック百景 失われつつある昭和の風景を探しに

 

 あっこれは絶対好き!と思ったので会社帰りにすぐ買いに走り、帰宅してじっくりと読みました。前日、長野重一さんが1950年代の東京を撮った写真集を見て、さらにそのあとソニー展で同じ年代のソニービルの写真を見かけたり、似たような時代の風景に触れる機会が続いていたので、今回もそういうめぐり合わせかな~と思いました。

東京1950年代―長野重一写真集

東京1950年代―長野重一写真集

 

「そういうめぐり合わせ」ついでだと思ったので下北沢B&Bへも寄り、おもしろそうな本をいくつか物色。いくつかいいなと思う本もあったのですが、今月はいろいろ買いすぎだなと思ったので、いったん見送り。本棚の整理もしなければ……。

 

20170214

バレンタインデーです。にも関わらず疲れはてていて、自宅に帰るのすらおっくうで、夕食をひとりで食べて悲しくなって、とぼとぼと帰途へ。家についたらすぐお風呂を済ませ、今週も「カルテット」です。

先週ラストのサスペンスのような引きをそのまま持ち越したような、ハラハラする展開。感情が揺さぶられ続けたので、観ていてしんどかった。そして「結婚してたのに夫にずっと片思い」というマキさんのセリフ、わたしもそうだったので、つらくなりました。「捨てた」とか「捨てられた」とか言いたくないですけれど、そういうふうに誰かとの関係をパッと手放せる人は実際にいる。そういう人から手放される、諦められてしまう瞬間というのは、それを思い出すだけで、本当に、つらい。過去の離婚に至る過程で「わたしとのことを、わたしとの人生を諦めないでよ」と何度も訴え続けたけれど、結論、それは叶わなかったのです。

手を放されてしまったらわたしにできることはもう何もないし、そしたら自分の心が死なないために「クソヤロー!」って叫ぶしかなかったよな、ということを思い出してしまいました。そしたら芋づる式にいろいろ蘇ってしまって、非常にダウナーになった夜。いやあ、感情移入しすぎですね。来週は大森靖子さんが登場ということで、こちらもソワソワ……

 

20170215

なかなかつまりぎみの1日。朝から会議やらなんやらで、慌ただしく過ごしました。お昼ごはんを食べそびれたり、なんだか調子が出にくいというか、身体や頭がぼんやりして、モヤがかかった感じ。気分転換で休憩時間にiPhoneからブログをバーっと書いたり、フロア移動を階段にしてみたり、いろいろ試して、なんとか日中を乗り切りました。

夜は心配して会いに来てくれた恋人とオムライスを食べて、お店を移動して軽くお酒を。いろいろとくだらない話をしていたらだんだん元気が戻ってきて気分もよくなったので、信頼できる大切な相手と過ごす時間って大事なんだなあ、と思った日。

 

20170216

暖かい日。そういえばこのところずっと暖かい日が続きますね。もう春が近いのかなあ。例年でいうとここで一度またグッと寒くなるようなイメージがありますが、このまま暖かくなってほしい。

朝から外出で、長い会議でこちらの主張をほぼ100%飲んでもらうことに成功し、意気揚々と戻ってきたものの、ずっとしゃべり続けていたせいかドッと疲れが出たので「今日はもう最低限のことしかしないぞ」と決意して、そのようにしました。

この日は婦人科のかかりつけを変えようと思って見つけたクリニックの予約がありました。行ってみたところ、いろいろ配慮が行き届いていて、驚いた。個人名を呼ばないよう番号札を渡されその番号で呼ばれたり、でも対面時には必ずフルネームの確認があったり、検査結果を電話で聞くことができる体制が整っていたりと、こんなとろがあるんだなあ、と思ったのでした。あと院内にスマホ充電OKのコンセントがずらり並んでいるスペースがあって、それにもビックリ。アクセスもよくいい病院だと思うので、しばらくここにお世話になります。

 

20170217

春か!というくらい気温が上がった日。風も強く、なんと春一番が吹いたとのことで、うれしいな~。でも花粉症のみなさまは大丈夫かしら。

気の重い会議やら釈然としない通達やら、社会人として、まあこういうのはあるよね……という事象に当たって、その都度なるほど~~とか思いながら乗りこなし、予定を大幅に過ぎて退社。定時を過ぎてからの会議というのは、必要最低限のものしか受けないようにしているのですが、そういう時間帯でないと出てこないクローズドなエピソードもあるので、一律に断るわけにもいかないな、と思いました。

週末なので恋人に晩ごはんを作る約束をしていたのですが、そんなこんなで疲れてしまったので、外食に。せっかく楽しみにしてくれていたのに、ふがいないなあ、と思いつつ、無理はしないようにと決めているので、甘やかしてもらいました。ありがたいな~。夜は早めの就寝。今週も、おつかれさまでした。

 

20170218

予定があり早起きをしたのですが、身体の様子と相談し、疲労度の具合からしてアッこれは無理と思ったので、日中の予定をキャンセル。二度寝をして起きたのはお昼ごろ。だらだらと過ごしてツチヤタカユキ「笑いのカイブツ」を読了。

笑いのカイブツ

笑いのカイブツ

 

感想は、うーん、保留します。でも鮮烈な一冊ではあった。

その時点でもう17時、何をするにも遅い時間帯だな~という感じ。しからば晩ごはんをしっかり作って食べようという結論に至り、シャワーを浴びたあと、新しくできた大きなスーパーへ。初めて行ったわけではないのですが、欲しい商品を探して店内のあちこちを巡っていたら、味噌や醤油や油などが大量種類展開されている棚を見つけてしまい、調味料好きとして大興奮して(恋人に笑われたりしながら)商品を検分したのでした。調味料なんて一家に1つずつあればいいのに、なのにあんなに多くの種類が展開されているのは、「豊かさ」としか言えないし、その製法の違いや個性が本当に面白い。楽しかった……

すっかり興奮しながら帰ってきて、ビール片手に料理を始め、恋人にひき肉をこねてもらいながら、キッチンで「安住紳一郎の日曜天国」の過去放送分を一緒に聴く。やはり朝食バイキングの回とサプライズ至上主義への上申書の回は本当に好き。よく笑って気分もよくなり、夕食の煮込みハンバーグに目玉焼きを載せるという贅沢までしたので、最高の夜でした。せいぜい数千円で、ふたりこれだけ楽しく幸せに過ごせるんだから、料理っていいものだなと思ったのでした。(ひき肉はよくこねられていて、おいしいハンバーグになりました)

 

20170219

雲ひとつない青空の暖かい日。久しぶりのバンド練習で渋谷へ。

バンド練習、というと正確じゃないですね、練習というよりふんわりしたテーマを決め、みんなで好きなフレーズを鳴らして合わせ、曲っぽいものを作る、というかなり自由な遊びなのですが、今回は初めてトロンボーン奏者の友人と合わせることができて、楽しかった。電子音+ギター+ドラムにトロンボーンなので、生音の圧に電子音をどうやって混ぜるかみたいなところが課題かと感じたのですが、どうしたらいいか、わたしにまったく知見がなく、手探りの3時間。でもこういう手探りそのものが楽しいので、続けててよかったな、と思います。気付けばこのメンバーで合わせるようになって、もう3年!途中でペースダウンしたりもしましたが、継続は力なりですね。

軽い気持ちで始めたドラムですが、自分の身体を動かして大きな音を出す、というのには、原始的なよろこびがあるように思います。そして集中してフレーズを叩いて、次、どうしようか考えている瞬間は気持ちがスーッと無になっていくので、とても気分転換になる。周りの音をよく聴き、他のメンバーが何をどうしたいのかを察知して、じゃあわたしはこうしてみよう、と叩いた音がハマる瞬間は、本当に楽しいので、これからも続けたい。とはいえ「こういうふうにしたい」を実現するには全然パワーもテクニックも足りないので、筋トレと練習の必然性を改めて実感したのでした。

 

今年の第7週目は、そんな感じでした。

チャオ!

共感と肯定、愛すること、理由を言葉にすること

言及いただいたブログへのお返事を書こうと思います。

まずこちら。

majyonan.hatenadiary.com

共通とか共感とか、大ざっぱで雑な言葉だ。違う人間だから、そんなに一緒の気持ちになったり理解はできない。とはいえ、案外単純に簡単に、スッと通じる瞬間があることも知っている。それが思い違いであるとしても。似て非なるものだとしても。

同性への目線、それは、安心感と憧れと好意で、すこし同性愛的なものだ。 

紹介したブログを読んでくださっているとのことで、すごくうれしい。ありがとうございます。好きなものの共有は、楽しいですね。

紹介する記事を書いたあとに「紹介してるのは、みんな年下の女性だね」と言われてハッとしたのですが、確かにわたしが年下の女性のブログに対して持っている感情、というのは、どこか恋に似たところがあるな、と思いました。
恋人とかに感じる愛というよりは、もうすこし「遠いもの」とか「憧れ」とかに近いのかもしれない。なので「彼女(の書くもの)って素敵でしょう」とみんなに言いふらしたくなるし、褒められるとわたしもうれしい。

基本的に共感できる、理解できる、わたしにもそういうところ/そういう経験があるな、と思いつつ親しみを感じて愛読しているものの、当然ながらみんな他人で、違う人間です。彼女たちがずっと書き続けたとき「あれ、ここはわたしとちょっと考え方が違うな」と感じることも出てくると思うのですが、それも含めて楽しみだし、ずっと見ていたいな、と思っています。やっぱり「好きな人と自分の違うところ」の発見はおもしろいし、ワクワクしますね。

せっかく生まれてきたんだから、わたしはいっぱい愛して、生きていきたい。

わたしもそう思います!

次はこちら。

puch0o.hatenablog.com

自分ができないことがあるのって認めたくないけど、できないって認めないとどこにも進めないしきっとそれが次のステップへの越えるべきハードルなんだ。もうすぐ新卒1年目も終わってしまうけど、泣かないようになりたいな、って初歩的なことを思いました。この涙の理由を説明できるようになったのが一つ成長ですきっと。

ハァ〜〜〜わかる。わたしも新人の頃、会社でよく泣いていました。とはいえわたしは本気で仕事をし始めたのが遅かったので、新人といっても20代後半で、いま思うとかなり恥ずかしいですね。

オフィスビルの業務用エレベーターの乗り場は、人があまり通りがからないので、落ち着いて泣けるんです。深夜、エレベーターホールのすみっこにしゃがんでメソメソ泣いて、気が済んだら顔を洗って化粧を直し、仕事に戻る、というのがよくあったので、会社のトイレに化粧道具一式を置いておいたりもしました。

仕事に慣れ、経験が増え、なぜこういうとき自分が泣いてしまうのか、を冷静に考えられるようになってからは、泣くことはもうなくなりましたが、「理由を説明できるようになる」のは重要だった気がするな。わたし自身の理由は主に「悔し泣き」でした。できない自分が悔しい、ダサい、自分にムカつく、という怒りの感情が行き先をなくして涙として出てきていたようです。(今となっては「言うほど優秀じゃないし、その割によくがんばってるよ、自分」と思うようにしています)

仕事で泣くことに対して厳しく批判する人もいますけれど、それで頑張れるなら、ガス抜きとしてこっそり泣くくらい、いいじゃん、と思います。上司からしたら、部下が仕事に行き詰まって泣いているのは心配だし、泣く前に一緒にどうしたらいいか考えられるよう早めに相談してほしい、と思うかもしれないけれど、人それぞれですものね。悔しがれる人は伸びる、と思っているので、応援しています!

 

以上です。
必ず書くよ、とは言い切れないのですが、言及いただいたらなるべくお返事を書いてみようと思っているので、よければまた意見を聞かせてくださいね。

今日はそんな感じです。
チャオ!

「はざま」の領分

www.izuremo.com

書いたものにリアクションをもらうのは、とてもうれしい。ありがとうございます。

しかしこれを「ファンタジーのようでリアリティがない」と書かれてしまう状況と、「そういう状況から変われない場所が、まだまだたくさんある」という事実に、たいへん心を痛めています。というのも、そういう世界が当たり前な状況を作ってこれなかったのは、ある意味、わたしたち世代の責任でもあると思うからです。

わたしがいる世代というのは、まだまだ上の世代も元気な一方、下の世代も実力と経験を兼ね備え始め、いよいよ本気で働くぞというタイミングで、ちょうど「中間管理職」といわれるポジションです。

そして同時に(サイボウズ式の連載でもよく書いているように)、働き方の変革期が到来している昨今、「上からされたこと/教わったことを、そのまま下にしていると、時代の変化についていけない」という難しい状況でもあります。

男女雇用機会均等法の制定が1985年、わたしたちの上の世代の女性が社会進出を果たし、バリバリと切り拓いてくれてきた道を、ありがたく歩かせてもらっている、という自覚がわたしにはあります。さらにそのもう一世代上になるであろう、わたしの母なんかは「女が外で働くなんて」「女が学問をするなんて」という価値観で、ガチガチにされていたわけです。
もし、その状況に自分が置かれていたら、今のわたしではないわたしが出来上がっていたのだろうと思うと、心の底から感謝していますし、わたしみたいなただの一般社会人が、こんなふうにして偉そうに「自由な働き方とは」「女も自立して働こう」とか言えるようになったのも、その世代の、そのまた上の世代の先輩方の努力のおかげなわけですね。

「そんな大げさな」と思うかもしれませんが、ともかく、わたしにはそういう自認があるのです。なので、社会に出て、仕事が楽しくなり始めた頃から、わたしも自分の下の世代の女性たちのために何ができるか考え続けたい。そしていくつになっても「あんなふうに働けたらカッコいいな、楽しそうだな」と思ってもらえるよう、いい感じの背中を見せていこうと決意したのですが、それでもまだまだ、力及ばずなのだよな、と、改めて実感しました。悔しいですね。

その上で、わたしが決めていいることが3つあります。

ひとつめ、そういう状況がある、というのを認識しつつ、「それでも社会をよくするために、1つ1つ変えていこう」という気持ちをなくさないこと。
ふたつめ、個人ブログを含むメディアの役目のひとつには「空気の醸成」があると思うので、前時代的で非効率な価値観について「いけてないよ」と言い続けること。
みっつめ、なにより、わたし自身が上の世代のいいところを引き継ぎ、よくないところを改善し、「働くことで社会を変えていく」理想の体現者であること。

いつかどこかで心が折れたり、わたしの人生の優先順位がガラッと変わって価値観が変化しない限り、この3つのことは、ずっと続けていくと決めています。フリーランスを経て組織に戻ってきて、その思いはより一層深まりました。多くの人と関わり、「会社」という大きな生き物をどうやって乗りこなして、関わる人たちの人生を良いほうに向け、ひいてはどのようにして社会を良くしていけるか、というのは、個人的に死ぬまで取り組み続けたいことのひとつです。それは「上から引き継いだバトンを、しっかりと下の世代に受け渡ししたい」という、「はざま」にいる人間の役目であり、領分なのだろうと思っています。

と、いう気概でやってまいりますので、これからも応援していただけると幸いです。なんかずいぶんと、意識が高いことを書いちゃったな!まあそういう日もありますね。そしてサイボウズ式の連載では、今後もそういうことを書き続けていくつもりなので、あわせてどうぞご贔屓に!

cybozushiki.cybozu.co.jp

今日はそんな感じです。
チャオ!

理由がなくたって愛されていいのだ

「ほぼ日」がジャスダックで上場承認を受けたとのことで、久しぶりにサイトを見に行った。(おめでとうございます)

ほぼ日刊イトイ新聞 

わたしにとっての「ほぼ日」は、「いっときめちゃくちゃ夢中になったけれど、自分の価値観の変動によって気持ちに距離ができ、一時はやや嫌悪感を抱いたりもしたが、絶対にいなくなってほしくない存在」くらいの感じ。元カレかよ。ともあれ、ひところはとても発信内容に影響を受けたし、ほぼ日手帳を何冊もリピートしたし、以前ほどではないけれど、今でもたまに見に行っては「いいなあ」と思っている。そんな「ほぼ日」に、「今日のダーリン」というコンテンツがある。

これは「ほぼ日刊イトイ新聞」の主宰である糸井重里さんが毎日、ほぼ日のトップに書いているエッセイで、毎回だいたい1000文字前後の、軽めなもの。内容はその日によっていろいろで、基本的には糸井重里さんの身の回りに起きたことを書き留めている感じ。さっと読めて、なんとなくホワンとする、そういうエッセイ。毎日1000文字、言葉のプロとはいえ、これを続けるのは、すごいことだと思っている。

わたし自身でいうと、2016年は、日記を毎日つけていた。けれど、わたしがただの社会人ということを差し引いても、文章に書こうと思えるような大事件は毎日、そうそう起こらない。今日も昨日のコピーアンドペーストだったな、みたいな日の方が、たぶん多い。だからといって、毎日書いている手前、日記までコピーアンドペーストでいいだろう、というわけにはいかない。(いいのかもしれないけど)

そうすると、どうなるか。自分の中に絶え間なく何かをストックするためにアンテナを尖らせ、心をやわらかくしてキャッチし、言葉を生み出す鍛錬をし続ける必要があるのだ。これはもう筋トレのようなもので、毎日やるのはとても大変だし、もう無理だよ〜と思ってサボりたくなる日もあるが、続けてみると「アレッ!」と思うほどの効果がある。

それは不思議な感覚で、たとえが難しいのだけれど、自分の中に「書くための回路」が通ったような感覚が発生する瞬間が、確かにある。そしてその「書くための回路」が開通すると、目の前にある何気ないこと、身の回りに起きるささやかな出来事をちゃんとキャッチして、言葉へ変換できるようになる。見えているものの解像度が上がり、視界がクリアになったような気がして、同じように見えてこんなに違う、こんなことやあんなことがあったのに、今までのわたしは見落としていたのだな、という状態になる。

つまり何が言いたいかというと、言葉のプロである糸井重里さんが、毎日書き続けているこのエッセイ、毎日更新されるからってつい見落としがちなのだけれど、読まない理由はないよ、ということ。

 

で、ここからが本題。

つまり2月14日、バレンタインのほぼ日、「今日のダーリン」で書かれていたことに、はっとした話。

ざっくりいうと、糸井重里さんが長年飼われている「ブイヨンちゃん」というジャックラッセルテリアについての話。ブイヨンちゃんは、もうだいぶおばあちゃん犬なのだけれど、小さいときからずっと犬の友だちがいないのだという。「他の犬に対してのふるまいがよくない」し、最近では「けんかはしないけれど、犬を無視をするようになった」。

「そんなこんなで、うちの犬は、犬のともだちのいないまま、老犬になってしまった」そうなのだけれど、それを飼い主である糸井重里さんは「それはそれでそういう人生だったんだ」と思って、納得をしている。そして、「そんなふうな、ぜんぶ、まるごとが、うちの犬で、もっといいこになる必要もないし、この先も、ずっとこのままでいいと思う。」と、「なにかできるから愛されるわけじゃない、っていいことだ。」と締めくくっていた。

これを読んだときに、バレンタインデーという「恋人の日」に公開されるエッセイとして、すごくいいな、と思った。バレンタインデー前後には、恋人に何をした、何をしてもらった、という話題がとても増える。わたし自身も同じで、バレンタインデーには毎年、そのときの恋人に贈り物を準備したり何か喜ばせるような計画を立ててきたし、今年もそうした。お祭りごとなので、身近な人たちの間でも、どんなチョコレートをもらったか、あげたか、それは手作りだったか、ブランドものだったか、有名ではないけれど気の利いたセンスのあるものだったか、どうだとか、いろんな品評が出そろう。そこに自分のこだわりを盛り込んだり、相手の「喜びどころ」を見出すのは、お祭りごととして、とても楽しいものだと思う。

なのだけれど、恋人への愛の本質としては、「こういうことをしてくれたから、してくれるから、好き」というものではなくて、できなくたって愛してしまうから愛で恋人なわけで、そこに正確な理由なんて、きっとない。あったとしても、そんなのはあとづけでしかない。理由なんて、なくたっていいのだ。

まあこれは恋人に限らず、家族とか友人とか、そういうくくりに入れらない関係性の誰かだとか、とにかく「自分にとって特別な人」のすべてに通じることなのだと思うけれど、そういうのをバレンタインデーにサッと上げる糸井重里さんは、やっぱりいいなあ、と思ったのでした。

 

ブイヨンちゃんについては、このへんとか読むといいです。かわいいよ。

ほぼ日刊イトイ新聞 - Say Hello! あのこによろしく。

ブイヨンの気持ち。 (ほぼ日ブックス)

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ブイヨンの日々。 (ほぼ日ブックス)

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今日はそんな感じです。

チャオ!